108 裸で生まれ裸で逝く (2005/12/15)
ごく普通の日本人と同じく私には強い宗教心などはない。
と本人は思っている。
私の中にそれらしいものがあるとしたら、
ヨット狂 と言う怪しい宗教だろうか。
どうも長距離セーリングをすると言うことは死ぬための練習をしているのではないかと思い始めた。
人間裸で生まれて裸で逝く とはよく言ったものだ。
生まれながらにしてお金持ちの所に生まれるとか、
国王の子供として生まれるとか、
多少の差はあるがまあ周りの人に助けてもらわないと 人間として何も出来ない赤ん坊として生まれる。
普通は勉強して働いてこの世では価値があるとされている名誉や地位や金や信用やありとあらゆる物を得ようと努力する。
そのようにして手に入れた物に縛られて生きていく。
そして、逝くときは縛られていた物全てを無くし、
裸以上に肉体さえも何もなくなる。
努力して得たり親から受け継いだりした社会で認められているありとあらゆる物が通用しなくなる世界 それが海だ。
おーい助けてくれーと言えば生きている間に助けに来てくれるだろう近海はさておき、
外洋の長距離クルージングとなるとまあ値打ちがあるのはそのために使う船体とそれまでに身につけたシーマンシップだろうか。
シーマンシップというのは精神論一切抜きの海で生き残るための技術である。
船体も大金をはたいて買ったのだから大丈夫だという物でもない。
自分の体力と技術に見合った 丈夫で 軽くて 楽に 速く走る ことが出来る船を手に入れるのはシーマンシップの一端かも知れない。
シーマンシップの有る無しが海での生死を分けるとすると、
外洋に出るには徹底的に海で生き残る技術を磨く必要がある。
ところがである。
多くのヨット乗りと称する人たちは陸上での価値を引きずったままヨットに乗ろうとする。
どんなに大金を投入しても陸上の方が安全で居心地が良いに決まっている。
それでもなおヨットに乗りたい人は金に飽かせて最新の設備でオール電化の 大きいヨットで海に出ようとする。
そして手痛い目に遭い死なないまでもちょっと死の淵をのぞくような体験をするだろう。
その時陸上の人間社会で価値とされた地位や名誉や名声や金やありとあらゆる物が通じない世界が海だなと気が付くはずだ。
何も持たずシーマンシップだけで外洋を航海していた昔の船乗りに近付くとき 裸で逝く 練習が出来るのかも知れない。
私も知らぬ間に54歳になった。
知り合いがどんどん逝く歳になってしまった。
いかに生きるかを考え努力するのは大切なことだが、
いかに死ぬかを考えるのもそれと同じくらい 大切なことだと思えてきた。
生と死は裏腹な物ではない一直線に繋がった物だと思えてきた。