111 「花丸」ショートクルーズ (2006/05/13)

5月の連休は久々に連れ合いと 帰省していた長男(真澄人)を誘って「花丸」に乗った。
クォーターリーの良い風と上げ潮で出航後2.5時間で御手洗水道に入った。
フルメイン・フルミズン・インナーセールで対地速度8.5ノットをずっとキープした。

先ず30年以上昔 兼松江商がやっていたヨット工場に勤めていた時にお世話になった田中さんという人を大崎下島の御手洗港に訪ねた。
お元気で「花丸」のお披露目をすると昔からの夢を実現させている私を祝福してくれた。

同じ大崎下島 大長の北 豊町には「海の駅」というのがあるが手狭で地元のボートをよけてもらわないと安心して入港できない。

花丸は 32フィートの先に2.1メートルのバウスプリットが付き、
おまけにアウトラダーとその後ろにウインドベーンの水中翼がある。
船舶検査上の船長は12メートルを超えている。

田中さんと昔話に花を咲かせながらビールを飲み昼食のあと、
次は大崎上島天満桟橋へ接岸、

上陸して「昭和園」というラーメン屋さんを訪ねたが昼寝中で閉店、
小母さんが癌になったというのを聞いていたので心配だった。

仕方がないのですぐに出航して大三島 宮浦港に向かった

入港直前で見たことがあるようなヨットだなと思ったら、
新居浜マリーナの「エスメラルダ」という森田さんの艇だった。

これで大三島 宮浦港で出会うのは2回目。
まだほとんどクルージングらしいクルージングをしていない「花丸」で同じ船と同じ港で一泊というのは奇跡に近いなあと言う話しになる。

他に3艇のヨットが停泊してやっぱり日本は連休なんだと感じる。

ともかく近くの風呂へ行きゆっくりと露天風呂から今走ってきたばかりの海を見渡しながら潮風呂を満喫した。
風呂も人が多くてたいそうなにぎわいだった。

風呂から帰りに外食にしようと言うことになり、
生ビールと魚料理で三人とも満腹になった。
そしてビールが回り船に帰り着いたときにはもうグロッキー気味で森田さん達に呼ばれたが動くことが出来なかった。

翌朝薄明かりで起きると、
隣に泊めてあった広島の船は出航した後で、
「エスメラルダ」がでていくところだった、
行き先は佐田岬半島を越えてカツオ釣りだそうだ。
大きくて速い船は連休中にそんなこともできるんだなあ。

船内で朝食の後ゆっくりと帰途につく。

昼にもう一度 大崎上島 天満桟橋に着け、
「昭和園」を訪ねる。

小母さんは去年の11月に亡くなったと言うことで、
おじさんもこのまま店を続けるかどうか考えているところだそうだ。

ここでまたもや昼間から飲み過ぎ 酔っぱらって出帆西へ進む。

昔の兼松江商ヨット工場跡のすぐ横を通って大崎下島 豊島と通り過ぎ、
上蒲刈「県民の浜」へまだ明るい内に到着した。

瀬戸内海では潮流を味方につけた航海をしないと時間ばかり食い距離が伸びない。

小さい船でエンジンが強力でなくても潮を味方につけて航海計画を立てれば結構遠くまで楽に航海できる。

御手洗も木江(天満)も参勤交代の時代からの潮待ち風待ちの港で、
昔は置屋がありべっぴんさんと呼ばれるお女郎さんが居たそうだ。

「県民の浜」の船着き場から歩いて10分くらいの所に温泉があり、
ここでも温泉にゆっくりと浸かる。

翌朝出航してすぐ真澄人君がトローリングを初め大きい「えそ」を吊り上げた。


家にたどり着いてすぐにえそのつみれ汁を作ってもらいその美味かったこと。
えそを釣るためだけに「花丸」を出航させても良いなと思ううまさだった。

その後二日ほど置いて、
横浜から宇都宮さん夫婦とその長男が彼女を連れてヨットに乗りに来る。

これも楽しいショートクルーズの思い出となった。
その時に宇都宮さんから送ってもらった滅多に見ることが出来ない外部からの「花丸」の全景写真。

舳先が真澄人
次が日焼けを嫌って帽子をかぶりタオルを顔の前まで回している和江さん
ティラーを握っているのが私です。

広島県 音戸の大橋 東に有る小さい港を出たときの写真。
宇都宮さん楽しい思い出をありがとう。

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