世の中のしがらみ(2007/01/07)

いざ航海に出ようと考えたとき、

船がちゃんとした船かどうか、
自分の技術は考えている航海を成し遂げる事ができる物なのか、

船検を遠洋に切り替えるには何が必要なのか、
外洋に出て行くにはどんな手続きが必要なのか、
又外国に入港するにはどうしたらよいのか、

そして航海の間の生活費はどうするのか、
帰ってからの生計はどう建てるのか、

お世話になっている人たちにはどう説明するのか、
世話をしているつもりの人は航海の間放っておいて良いのか、

家は、
土地は、
その他 僕のものだと主張できる物達は、

裸で生まれてきたはずなのに知らず知らずのうちに世の中にがんじがらめになっている自分を見つける。

 

 

昔の人は「世間様に顔向けできない」とか、
「世の中に申し訳ない」とか、
田舎の方言で言うと「ふうが悪い」とか、
とにかく世間のしがらみからからはみ出す者を縛り付ける呪縛の言葉を使った。

今でも田舎では普通に使われている言葉だろうが、
誰かが言った「国を愛する心」と同じように僕には世間や国が見えてこない。

見ることも感じることも出来ない物に縛られるなんて嫌だ。

しかしそれに目をつむりしがらみの中で生きて行くのはぬるま湯に浸かっているように楽な事に思える。

一つ一つのしがらみを切り崩して自分の船と腕を信じて前に進むしかない。

 

 

ヨットで外洋に出て航海することはそんなに大変なことではない。
出たことがあるから言える。

大変なのは出航までです。
出てしまえば後はなるようにしかならない。

気候を知り、地球上の自分の居場所を知り、毎日精一杯帆走しておればやがて目的地が見えてくる。
陸の上よりよほど単純で安全で変化の少ないのが航海だ。
(そこに僕は陸上では味わえない喜びを見いだす事が出来る)

 

 

エイヤッ! と出航出来る時に出航するのが自分に正直に生きたと言うことだろうと思う。

人それぞれ違った立場や環境がある。
本当はやろうと思えば出帆できるのに世間のしがらみの中で生きていく方が楽だからと外洋帆走は夢で終わってしまう人がほとんどだろう。

平安を望むのか開拓者になりたいのか、
どんな航海もそれぞれの人の違った人生のようにその人にとっての 大冒険であることには間違いない。

 

 

「花丸」を手に入れ、
仕事も切れた、
父も元気で、
子供達もそれぞれ独立する。

僕にとってまたとない条件がそろった今年こそ飛躍の年にする。


海の広場に戻る

homeに戻