125 九州一周単独航で思った事-1(2007/07/28)
仕事がなく(木造艇注文が途絶えた)おまけに接着エポキシを使えない梅雨になったので
6月27日ふらりと九州一周の旅に出た。
今回は連れ合いは仕事(保育園の保母)を抜けられないというので気ままな一人旅だ。
去年の梅雨は仕事を抱えながらエポキシが使えない事を理由に二人旅で本州を一周
おまけに北海道函館まで行きそこに「花丸」を置いて
「ラブバードテルアキ」 の田中輝顕さんの住む帯広までJRで列車の旅も楽しんだ。
今回はとりあえず九州を時計回りで一周すると決めたが最南端は屋久島にした。
31年前に「鴎盟」(おうめい)という25フィートの自分の船で沖縄へ行く途中種子島へは寄った事がある。
(真冬の正月元旦に出航した太平洋一周の練習航海だった)
今度は行った事がない屋久島にしようと考えた。
海図は持たないし港湾案内も持たない GPSとパソコンに連動させたC-mapだけの旅だ。
本州一周の時は持って行った地図帳も積んでいかなかった。
今日本に来ている世界中のヨットがC-mapだけで何処へでも案内もなく入って来るというのを僕も実証してみたかった。
それをするにはC-mapは本船用のチャートだしとにかく10年以上も古いチャートなので
航海には使えても港の出入港などには参考程度にしかならない。
出入港は必ず明るい時で目視で測深計とにらめっこという事になる。
ところがのんびりしているというか計画性がないというか僕がもうそろそろ入港しようと思うのは
15:00も過ぎて次に入れそうな港はこことここしかないと解った時点くらいだ。
そこであわてて港の状況を調べる。(C-mapで入港したい港を思いきり拡大してみる)
でもそこが2メートルの水深だったりすると結局小さい船しか入れない港で
本船用のC-mapには詳しく乗っていなかったりする。
そうなると慌てだして不安な気持ちのままで引き返す事も考えながら入る事が出来る港をあちこち当たってみる。
それでも夏の日の高さにすくわれ19:30暗くなるぎりぎりに入港できた事もあった。
一人だから無理をするのだ。
今となっては名前も思い出せないような小さい漁港にも何カ所も入港した。(ローマ字で港の名前を書いているしそしてその読み方はでたらめなので思い出せない)
一番最悪だったのは宮崎港で真っ暗になってから入港しおそるおそる進んで港の奥の作業船に横付けして眠り
誰とも顔を合わさないまま朝まだ薄暗い内に出航した。
距離の関係で種子島にも寄港したがとにかく一気にという感じで屋久島まで5日で着いた。
そして
屋久島では地元の面倒見の良い漁師さん笠井さんと仲良しになった。
毎日スクーターでやってきて今日の風はどうだこうだと話していく。
そして「花丸」は今年屋久島に来た34番目の船だと言う事も解った。
毎日のように強い西風が吹き漁に出られないという事で顔を合わせて話し屋久島の事を色々と聞いた。
僕たちヨットもあまり風が強いと出航する気になれないのでのんびりと構えて屋久島見物だ。
僕は屋久杉ランド(紀元杉がある)と白谷雲水峡(弥生杉がある)へ隣に停泊していた「流浪」の勢能さんと一緒に行った
彼は一泊して縄文杉も見に行ったそうだ。
僕はまともな登山の用意をしていないし花丸を空けるのは嫌なので行かなかった。
毎日遊び暮らしている内に南の海に台風4号が発生していた。
最初はのんびり構えていたがある日漁師の笠井さんが4号は屋久島へ向かっている
この近辺では鹿児島の錦江湾入り口にある山川港が一番安全な港だから
山川港の漁師達が台風舫を始める前に明日にでも出航して逃げ込めと教えてくれた。
その時屋久島の宮之浦港に停泊していたのは
「流浪」「花丸」「ボヌール」「ホーネット」だった。
沖縄から北上して横浜ベイサイドマリーナを目指していた「流浪」の勢能さんは直ぐその日に出航していった。
北上する黒潮に乗って一気に九州から離れる寸法だ。
素晴らしい判断だと思った。
残りの3艇は笠井さんの薦めの通り翌日7月10日に山川港を目指した。
その前に9日の夕方笠井さんが屋久島の鹿肉をくれたので鹿肉の焼肉でボヌールに集まって土砂降りの中お別れ会をする。
一人は寂しいが(特に食事は大勢の方が良い)今置かれているヨットの状況を判断するのは一人の方がやりやすい。
クルーがいるとどうしても相手を見て周りを見なくなる。
他の船とわいわいがやがややっていると出航の判断も鈍る。
今回は明日山川港を目指せと言ってくれた漁師の笠井さんのおかげで一気に出航決定が解決した。
有りがたい。
しばらくしたら思い出しながら続きを書きます。