130 遊び  (2007/08/22)

子供はよく遊ぶ

大人から見るとなんだか訳の解らない目的のない行動を一生懸命やっている。

反対に言うと大人になるとだんだん遊ばなくなるのが人間のようだ。

いや動物だって子供の内はよく遊ぶ(遊んでいると思われるような一見無駄な動きをよくする)
しかし大人になると食事の時以外はほとんど寝そべっている物が多い。

 

僕は経営工学というのを習った

全く遊びのない仕事の世界で
部品を左手で上から握るのが次の動作のために有利なのか 早いのか
それとも横から持って持ち上げた方が早く取り付けられるのか

その部品はどちらから供給すると一番有利か
秒を縮めるためのラインを作る

そんな生産管理というような全く人間性を無視した世界の事を習ったのだ。

 

今でももっと大きな動きでの経営工学は僕のヨット作りにも生きていると思うが

ヨットに乗る事に関して言えば全くその逆を行く世界だと気がついた。

 

「目的を持たない船をヨットというと言う」というヨットの定義からすると

目的がないから動かないというのではなく動いている事その物が目的のヨットだから

丁度人間世界の赤ちゃんのような物だ

 

無駄な動きは当たり前

大人から見たら可笑しい事ばかりを平気でする

一人前に食べるし 出すし 眠るし 騒ぎ 泣く

それでは赤ちゃんは必要ないのかというとそんな事はない

 

どんな精密機械にも遊びが必要だ

 

個人的に言うと僕みたいにヨットに偏りすぎるのは問題かも知れないが

人間社会にはヨットのような純粋な  目的のない(セーリングスポーツとは全く違う)遊びが必要だと思う

目的を持たない散策やピクニックやキャンプなど特に毎日せっせと働いている人には必要な事だと思う。

 

遊びは創造的で独創的であるほど面白い わくわくする

子供の時は周りが見えないから一つ一つが自分の創造であり独創であり前例を見ない

だんだん大人になると周りが見えてきて遊びも人まねになる。

それでも面白いのは一人一人にとって初めての事だからだろう。

 

その上に人を遊ばせる商売も現れて、
遊ばされていると気がつかないで遊んでいるつもりになっている人もいる。

 

衣食住を満たすための働きと全く同じような比率で人間には遊びが大切だと思う。

遊びのない社会はギスギスして面白くないつまらない世の中です。

 

遊ばされるのではなく心の奥底からわき起こってくる子供のような目的のない自主的な遊びが世の中には必要だと思います。

 

間違っているかも知れないが僕に言わせるとスポーツは遊びではない。

必ず記録を塗り替えたり

自分なりのベストを出す事を目的としたり

ルールの中で相手がいて戦ったり

スポーツその物を楽しむというのは今では許されないような所まであらゆるスポーツが追いつめられていると思う。

 

学校から実社会まで時間や長さや点数や強さなど物差しで測りやすいスポーツは勉強や試験と同じように優遇されているが、

 

本当に必要なのは

目的のないはかり知る事の出来ない 遊び なのだと思うこのごろです。

 

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