150 小笠原へ青い海を見に−1 (2009/08/06 )

 6月14日松山柳原漁港を出帆し四国一周を目指す。

「花丸」シェークダウンと称して
1---進水して直ぐに大阪泉大津を往復。

2---次は連れ合いと一緒に北海道函館寄港を含む本州一周。

3---その次は単独九州一周。

4---そして又連れ合いと二人ニュージーランド往復7ヶ月の航海。

5---そして今回1番身近な四国一周を含む小笠原航海に単独で出港した。

「花丸」の船舶検査は最初の3年間沿海仕様、
その次の3年間は遠洋仕様で取った。

今年の9月までは遠洋仕様の期間がある。
そのために臨時航行の手続きなど何もしないでどこへでも行ける内にと友達が居る小笠原父島行きを選んだ。

工房にいても不況で仕事はないし、
仕事があったとしても梅雨の間は湿度が高いと必ず失敗するエポキシ接着ができない。
エポキシを多用する僕の船造りは梅雨の間はストップしてしまうのです。

原図引きやその他の仕事があればよいのですが何時もそんなに巧くは行きません。

と言うことで瀬戸内海では見ることができない外洋の真っ青な海を見に行くことにしました。


 まずは松山から宇和島まで、
宇和島港は何度も入ったことがあるので夜になっても大丈夫という気があり連れ潮・追い風の内に走っておこうと佐田岬半島の先を交わして一気に走りきった。
14日夜遅くに何時も泊めさせてもらう川の上流 フェリー桟橋の奥に停泊
先客のヨットがあり舫を取ってくれた。

翌朝15日は早くから宇和島ヨットクラブの徳田さんを起こして宇和島名物の朝うどんを食べに行った。
宇和島へ行くと必ずと言ってよいくらい朝うどんに行くことにしている。

その日は一日徳田さんの所でゴロゴロしながら予備のパソコンを調整した。
調整というのはC-map4をちゃんと動くようにすることで、
徳田さんはC-mapのと言うかウインドーズパソコンの達人です。

物理的にバラバラにして悪いところを交換したり入らないと思われるソフトを入れて動くようにしたり、
何でも困ったことがあると宇和島ヨットクラブの人たちが徳田さんの所にパソコンを持ち込むという人です。

僕の現在「花丸」で使っているメインのC-mapパソコンも徳田さんのお世話で手に入れた物で4年を過ぎても未だに健在。
でも海で使うのでキーボードの裏は錆だらけ、
いつストップしても不思議ではありません。

だから必ず予備のパソコンを何時でもC-mapが使える状態で2つ以上は持って行くことにしている。

徳田さんの助けで何とか予備のパソコン3台も動くようになり翌朝早く未だ暗い内に宇和島港を出港する。


 目指すは土佐清水

宇和島から沖の島まではクォーターリー(斜め追っ手からの風)の楽ちんセーリング。

沖の島からは外洋でうねりも大きくなったがアビーム(真横からの風でヨットでは1番安定した走り)で快調な走りとなる。

おまけに鰹が食べたいなとケンケンを流すといきなりちょうど一人で食べるのによい大きさの鰹が釣れた。

早速鰹を手早く解体して3枚におろし肉の部分を冷蔵庫に入れた。

目の前に土佐清水が迫ったが同じ名前の港がC-mapで見ると2つ有るではないか。
日本語ではなくローマ字で地名などを記入しているのでもしかしたら間違いかなと考えたがそうではない、
新しい港と古い港が有るようだ。

漁船が頻繁に出入りしている古い奥まった東側にある土佐清水の方に舵を切った。

舵を切ったと言っても僕は航海中ほとんど舵を持たない、
入港・出港のほんの短時間舵にさわるだけであとはウインドべーんかオートパイロットかに任せてそれを調整するだけです。

狭い水路をC-map4を頼りに漁船を避けながら入港する。

一番奥にある漁船が槍付けしている岸壁に僕も槍付けしようと船尾アンカーの準備をしていると
漁船の人が岸壁に横付けせよと言ってくれ舫を取ってくれた。

直ぐ目の前のガソリンスタンドで松山からここまでで使った燃料分を買い足し、
風呂に行って直ぐに「花丸」に帰り
1合のご飯をシャトルシェフというガスが半分で済む鍋で巧く炊いて早速鰹の刺身でご飯を食べた。

一人で航海しているときはよほど安心な港の中できちんと停泊している時でないとアルコールは飲まない事にしている。
土佐清水では舫を取ってくれた漁船の人が話しに来たので缶ビールを一本だけ飲んだ。


 さあ明日はいよいよ小笠原父島を目指し32年ぶりの単独外洋航海が始まる。
なんだかわくわくするような怖いような それでも疲れて一気に眠りについた。

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