157 堀江謙一さんと対談 (2010/06/22)

天城レストア中で忙しかったが一度はお会いしてみたかった堀江謙一さんからのリクエストで天城のオーナーの了解も得て5月30日琴平へ行くことになった。

何処でどう繋がったのかほとんど忘れかけていたが堀江謙一さんが「海の祭典2010」というイベントで講演をすることになっていて、
その講演の後で僕と対談をしたいと堀江さんが言い出したらしい。

「海の祭典2010」実行委員会のJR四国(四宮しのみや)さんから丁寧な案内を頂いた。



僕だけではないと思うがヨットの世界の人で堀江謙一さんの名前を知らない人は居ないだろう。
ヨット界以外の人でも堀江謙一の名前は「太平洋ひとりぼっち」で知っている人は多い。

中学校2年生の時からずっとヨットにあこがれ、
中学・高校とクラブ活動はサッカーだったが頭の中はずっとヨットのことばかり考えていた。

たまたま前後に並んだ席に座った越智さんという今でも友人の同級生がこれも強烈にヨットにあこがれていた人で、
授業中にも教科書の後ろに堀江謙一さんが出した「太平洋ひとりぼっち」という本を立てて読みあさり、
越智さんが買っていたヨットの雑誌「舵」なども隅から隅まで読んでいた。

どちらが後ろの席だったか忘れたが前の席に座った人が授業中に教科書の陰でヨットの絵を描いているのを後ろから声をかけて二人は仲良しになった。

まあ堀江謙一さんにあこがれて僕のヨット人生が始まったわけだがまさかお会いしたこともないその堀江謙一さんと対談をすることになろうとは思っても見なかった。



琴平駅に着いたのは讃岐うどんを食べに行くと言いだした連れ合い-和江と長男-真澄人(ますと)それに前日から広島より遊びに来ていた小林さん夫婦と柴犬の力。
彼らは金刀比羅宮へ行ったことがないので1000段以上有るという階段を上ることになり、

僕はJR琴平駅で堀江謙一さんと合流一緒に四宮さんに案内されて昼の腹ごしらえに地元の人が良く行くという行列ができているうどん屋へ、
流石に地元の人に案内されていくうどん屋さんに外れはない。
それから講演と対談の会場となる神椿と言う森の中のレストランへ案内された。

お会いしてからずっと堀江さんを観察したがとても71歳とは思えないしっかりした人だと思えた。
世間のニュースにも通じているし普通に人に会わせて話ができる人で場の流れも読んだ話ができる柔らかい人だった。(僕とは大違い)

講演の前の打ち合わせは簡単に終わり、
僕と二人っきりでけっこう長い間話す時間があった。

堀江さんの最近の航海のこと(波の力を利用して進むヨット)をお聞きし、
僕が作った自分の「花丸」でニュージーランドへ行った話しなどもした。

ヨットの世界全体のことや大阪の狭い範囲のヨット事情やうわさ話などまでよくご存じだった。



そして堀江さんの講演が始まった。
何百回と講演をされたに違いない淀みなく1時間10分予定の時間ぴったりに講演は終わった。

お話しは事実の羅列という感じだが僕のようにヨットに実際に乗る乗り手には納得できることが多かった。
ヨットの本や直接会っての話しでも船乗りのおおぼらか僕にとって納得できない話しが多い。

話された内容は僕が暗記するほど読んだ一番最初の「太平洋ひとりぼっち」の話しから
最近何年か置きに出航する新しい航海についても話された。

もちろん日本にも堀江謙一さん以上に長時間ヨットの航海をされている人も居るには居るが、
堀江さんの様に毎回テーマを決めて何時も新しい航海に挑み続けると言う人は見あたらない。
おそらく世界でもまれな航海経験の持ち主だろう。



いよいよ堀江謙一さんと僕の対談が始まった。
アナウンサーの市川さんという女性が話しの流れは決めていたので僕たちはそれに乗って受け答えをすればよい楽なものだった。

堀江謙一さんが地球縦周りの航海で北太平洋でマストを折り1ヶ月以上かかってハワイにたどり着いたという話しから、
僕が1976年冬の北太平洋を航海して日付変更線を超えてすぐマストを折りその後3ヶ月かかってサンフランシスコにたどり着いた時の話が出て、
その昔新聞のトップ記事にそのことを伝える記事が大きく載り(多分その日は他のニュースがなかった)それに堀江さんが後輩ヨット乗りをたたえるコメントを寄せたと言う昔の新聞記事が大きく紹介された。

堀江さんはそのことは忘れていたようで新聞記事の引き延ばしをしっかり見ていた。

その後堀江さんはヨットに乗るがヨットを造れるし修理もできるしヨットにも乗れる池川さんは珍しいヨット乗りだというような事を言われた。
大昔キャプテン・スローカムの時代には孤立無援のヨットは何もかも自分でできないと航海はできなかったが、
今は一番楽しい航海だけに集中できるのは良いことだろう。

僕が自分が造る木のヨットが自分の航海には良いという結論に達した話しや
今後の航海について聞かれ

あっという間に40分が過ぎた。

丁度話しがかみ合って乗ってきたところなのでもっと話してみたかったが時間切れで終了。



堀江謙一さんに一度お会いしてみたいものだという30年以上にわたる願いはかなった。

堀江さんお元気で何時までも航海を続けられることを願っています。


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