162 東日本大震災 2011/07/04

[AMAGI]の仕事が一段落したので岩手県まで震災の復興支援に来た。

2006年「花丸」で本州一周をしたときに立ち寄った岩手県下閉伊郡岩泉町小本と言うところへ車で1日12時間ずつ連れ合いと二人交代運転で2日かけてやってきた。
ヨットで来るよりも随分近いと感じるがそれでも慣れない車の長距離運転は肩がこり疲れ果てた。

僕の目的は昔お世話になったヨット大工の棟梁 小成りさんのお手伝いをすることだ。

6月30日16:00くらいに小本に到着し仮設住宅の住所を訪ねたが不在だった。
小さい地区なので何とか探そうと仕事場があった当たりや以前来た時に泊めてもらった小本温泉や船を泊めたところ当たりをうろうろしたが会えない。
しばらく考えて小成りさんの甥っ子の家が仮設住宅の近くだと聞いたのを思いだした。

加藤さんという広島で知り合った当時18歳だった現在船大工の棟梁に案内されて小成りさんの新しい仕事場に向かった。
海の底をのぞいて漁をする箱眼鏡を作る仕事の真っ最中だった。

久々の再会を喜び合った。

その日は少し早めに仕事を止めて元家のあった場所や瓦礫が積み上がっている所を案内してもらった。
Google Earthを見てオレンジ色の屋根が見え家がまだ残っていると思っていたが、
残っていたのは2階だけで1階は津波で全部流され危なかったので取り壊したそうだ。

毎日避難所から家の後片付けに通いやっと基礎を少し残すだけの更地になった所だという話しだった。
腰の曲がりかけた二人には大変な重労働だっただろうと思う。

80歳になる小成りさんと75歳の奥さんにとって家が無くなると言うことは大変なショックだったようで新しい家を建てるそうだ。

元の場所は津波の心配があるので家を建てさせないという行政の指導があり現在は動きがとれないと言うことです。
小本全体が高台への引っ越しを考えているそうだ。

仮設住宅の入居期限は2年だそうでその間に何とかしたいそうだが建築業の方も土木も震災の後片付けでまだまだ目処が立たないと言うことです。

小本以外の他の地区も車で案内してくれましたがまだ片付いていなくて大きな漁船が家に寄りかかっているところや「解体OK」と赤色スプレーで大書された家が沢山有りました。
主要道路の広い通りでも信号が消えている所があり完全復興にはまだ何年もかかるんだろうなと思った。


僕の復興支援は食事を作ったり瓦礫を運んだりすることではなく昔の棟梁がやっている仕事を手伝うことだと決めていました。

小成棟梁の地区には近隣漁協合わせて700人ほどの漁師がいるそうですが、
船は殆ど残って居らずアワビやウニの漁期が来ても漁に出かけられない状態だそうです。

その船に積んだり漁業の作業倉庫にしまっていた漁に使うのぞき眼鏡も殆どの漁師が失い小成りさんが仕事を始めたことを知った漁師の人たちが次々に注文に訪れ
1つ2つと注文していきます。
親子で乗る船もあり一人の人が2つ注文するのだそうです。

FRPの箱眼鏡なので仕事の手順上待ち時間が出来ます。
朝04:00に仮設住宅から仕事場に来てゲルコートを塗ったり、積層をしたりしてから06:30くらい一度朝食に仮設住宅に帰ります。

その後08:00再出勤で夕方17:00過ぎまで働きます。

いくら頑張っても一日に1個作るのがやっとです。

FRPの型を増やせばもっと沢山一度に作る事が出来るのでしょうが、
今使っている型は津波に跡形もなく飲まれた前の工場の近くで拾ってきたものを修理した物だそうです。
他のものはみんな無くなったがのぞき眼鏡大小ある内の大きい方の型だけが残ったのだそうです。

小さい方は倉庫に残っていた製品からやっと型を作っている最中でした。

愛媛と比べ岩手は少し東に寄っているので今の時期 朝03:30に夜が白み始めます。

僕たちは小成りさんの工場の二階にある10畳ほどの休憩室に寝かせてもらった。
始めは小成りさん達が仮設住宅なのだから僕たちは寝るところもないだろうとテントやキャンプ用具一式を持ってきたがその必要は無かった。

朝04:00におはようございますと倉庫のシャッターを開け少し仕事をします。
連れ合いは仮設住宅へ食事の準備に行きます。

仕事が一段落したら小成りさんと僕は仮設住宅へ行って朝食です。

08:00には再び仕事場に戻ってくるのですが小成りさんののぞき眼鏡仕事は一人で充分なので僕は「解体OK」と赤スプレーで書かれた船の修理です。
仕事場隣の漁師さんが解体する船をもらって来て修理して欲しいと頼まれたのだそうです。

FRPの小さい船なのですが5つ有るハッチが1つもなくなっており、
入り口の大きなドアと小さいハッチも有りません。
風防も綺麗になくなっています。

船体は問題無い様なのですが津波でひっくり返ったのでしょう上側の構造物がひどく痛んでいます。
もちろん船外機も操舵装置も計器類も全てだめになっています。

おそらくこの船を乗れる様な状態にするには買った時の半分くらいのお金をかけないといけないでしょうが、
それでもものがないので漁師さんはやる気になったのでしょう。

残り3日で岩手を出発して愛媛に帰るつもりですが何とか仕事の目処を立ててから帰りたいと思っています。
同じFRP仕事でもヨットと違いあまりにもおおざっぱな修理仕事なので少し戸惑いはありますが、
まあ何とかなりそうです。

多くの人を不幸のどん底に落とし込んだ震災ではありますが、
僕は腰は少し曲がったがまだまだしっかり仕事の出来る80歳の棟梁にまた逢えたことを喜んでいます。

今回は梅雨でキリが毎日のように海から押し寄せ夏と言っても肌寒い感じですが、
次回は綺麗な海や深い山や美味しい水や温泉を楽しみに来たい物だと思っています。

地元の人同士が喋っている方言がまるで解らないと言う僕たちにとって困ったこともありますが、
人も自然も最高 岩手は良いところです。

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