219  2回目の太平洋横断 (2018/01/07)

2017年6月5日に四国 松山を出港してカナダのビクトリアへ入港したのは8月1日でした。

今度は連れ合いの和江さんと一緒です。

最初の太平洋横断は一人で年齢も25歳と若かったし長距離航海の技術も無く出港してからだんだん身についてきたものでした。

今度の航海は二人なので海を見るのも天気を見るのも半分です。
一人の時は回りの状況を100%知れるように全ての神経が外を向いていましたが今回は相手が居るので海や空を見ていたのは半分だったと思います。

その分不安はありますが楽しみは倍になり苦しみは半分です。


40年前の航海と今度の航海の大きな違いは全ての航海術が電子化されたことでしょうか。

天測と称して太陽や月や星達を使って水平線とその天体がなす角度と正確な時間から位置の線(位置を示す点ではなくこの線上に自分が居るという線)を得てデッドレコニング(推測航法)で船が進むスピードと方向から位置の線をずらして、新しい位置の線と交差した所が自分の位置になる。(一つの天体 主に太陽を使う天測)

僕がやった星測では一気に5つから6つの星と水平線が見えている朝夕の10分あまりの間にそれぞれの星の水平線との角度を測るやり方で最も精度が高い天測方だがそれでもよく晴れた絶好の条件で1マイルの誤差は認めないわけにはいかなかった。

正確な時間を知る為には時計を触らないで短波ラジオを使って時計日誌を付けた。
何時も同じ時間に短波ラジオの時報を聞き天測をする時計が何秒違って居るかをグラフに付けていくのである。
そうすると天測をする時刻の時計の秒針が今日は何秒進んでいるとか遅れているとかと言うほぼ正確な時間が解るのである。

六分儀で天体と水平線の角度を摂った時間を元に天測計算表と毎年発行される天測歴という本を使って計算をする。
計算自体は足し算と引き算だがとにかく桁数が多い。
それでも暗算でかろうじて出来る範囲の計算だ。

太平洋一周の最後には自分でも驚くくらい正確な自船位置を出せるようになっていた。

後何分後にあの島の山が見えてくるはずだというのはほとんど的中した。
海抜40センチの環礁島でココヤシの木の先端が水平線にギザギザに見えてくる時間も20分以内くらいで見事に的中した。


自分でも異常なくらい天測の達人になりたくて努力してきたが GPSが現れて全く天測は必要無くなったので今では天測の仕方を全てを忘れた。

GPSは人間が宇宙空間に打ち上げた衛星を使い天測と同じように自分がここに居るという位置の線を得ます。
衛星が沢山あるので一気に5から6個の衛星を捕まえて位置の線を交わらせるので正確な位置が出るのです。

天測の時の計算は全てGPS任せです。

戦争や測量には特別正確な位置決めが必要ですが、ヨットの航海には数メートルの違いは全く問題にはなりません。

そのGPSで得た位置をパソコン上の電子海図の上にプロットして海図の上のどの位置に船が居るか、どちらに向かって何ノットで進んでいるか、このスピードだと後何時間で何処まで行けるか至れり尽くせりで知りたいことを知らせてくれるのが電子チャートとGPSの組み合わせです。


もう一つ長距離航海者がどうしても知りたいのが自分の船の位置の気象です。

40年前の航海では出たとこ勝負の何でもコイでした。
観天望気と言ってもその知識は漁師さんの足下にもおよばないものでした。

ラジオが入る範囲では日本の気象庁が出す天気図も採れますが、直ぐにそれも採れなくなり明日は明日の風が吹くという感じでした。

今回はイリジュウムで電子メールが通じており太平洋横断の間中 MMさんがずっと天気予報をサポートしてくれました。
事前に先の天気が解ると言うことがどんなに心強かったことか測り知れません。

問題だったイリジュウムの使い方も理解し、機械本体の問題もやっと半年ぶりに解決し、

ロバート・シェラー神父の助けもありやっとイリジュウムGOを使って天気予報も採れる様になりました。


自分の位置を把握し先の天気を読むことが出来る航海がどのくらい安全で楽な物かこれから味わってみたいと思います。

猫も杓子もと言いますが電子技術の進歩で誰でもその気になれば太平洋を渡れる時代になりました。

後はシーマンシップの残り半分、乗艇技術と維持管理技術でしょうか。

あんなに苦労し使い慣れてきた天測技術も天気図を描く技術も今やパソコンが解決してくれました。
一番高いハードルは最初から低いのですからその気さえあれば誰でも太平洋横断は出来ると言うことです。

前にも書きましたがシーマンシップとは精神論抜きの海で生き残る為の技術の集大成です

舫結びに始まるロープワーク、船底塗装などの船を維持する技術それは沢山あるシーマンシップを身に付けるには長く少しでも長時間ヨットに乗るしかないのです。

地位も名誉も金も一切の物が通じない遠洋航海の世界に早く入りたかったのですが 人それぞれ捨て切れない世間との関わりがあります。
それでも、不義理を承知で出港したのは65歳になり今をおいては出港出来ないと思ったからです。

2回目の太平洋横断は最後の航海になるでしょう。

5年かけての世界一周は僕にとって生きた証と言って良いと思います。

飛行機を使っての旅はどんどん早くなり地球は小さくなったと感じますが、ヨットの旅は地球の大きさを実感できる旅でもあります。
ゆっくりと現地の人と交わりながら楽しく航海を続けたいと思っています。

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