246 海と陸の食物 (2024/04/03)

 植物を育ててみてと言うか畑をやりだしてからです。

農作物と呼ばれる食べることが出来る植物は,長い年月を掛けて改良されて人間が食べやすいように 育てられやすいようになっています。

動物で言うとニワトリや豚や牛などごく身近で飼われている様な動物に近いのが 農作物でしょう。

人間の目から見た動物も植物も 人間にとって有益かどうかで分類されています。

植物の世界では有益でない物を 草と呼んだりします。

もちろん草にも名前はあるのですが誰もそんなことは気にしません。

畑の作物も人間が手を掛けないで放っておくと 段々先祖帰りして美味しくない食べにくいものに帰って行くそうです。


 海にも動物や植物は居ますが,ほとんどは人間とはほど遠いところで生きています。

漁師が取ってきて食卓に並ぶ魚類は植物程ではないにしろ一定の物ばかりです。

海のほ乳類は大きくなりすぎて普通の人には手に負えない物がほとんどです。

それも昔食用以外で獣脂を採るために取り尽くして絶滅寸前というような海洋動物がほんの少し生き残っている有様です。

海草やその他の海の植物は食卓に上がることも無いものがほとんどでしょう。

僕が知る限り人類の中でも海草を食べることが出来る人は限られているようです。

どうしても海の動植物を食べないと生きていけない人類ではなくなっています。


 ヨットに乗っている時 日本人はヨットの生活に凄くマッチしていると思ったことがあります。

好んで生魚を刺身で食べることが出来るからです。

引き釣りの疑似餌にも工夫を凝らし 必ず流せば釣れると言うところまで行きました。

何しろ新鮮な食べ物が手に入るのですから工夫や苦労はいといません。

西欧人のヨット乗りに聞いた外国人達の釣果と比べると僕たちは圧倒的に海で生きる能力が有るなと感じました。


 植物の世界ではどうでしょうか ぼくの知るかぎりですが日本人は圧倒的に良い食物を作ります。

米は言うに及ばず,色々なところで食べた食物も日本の農産物に匹敵する味の物は殆ど無かったように思います。

家畜も農産物でもとにかく手を入れてより美味しい物を作ろうとするのが日本人のようです。

損得抜きと良く言いますが何にでも一生懸命になれると言うのが日本人の良いところであり 行き過ぎれば悪いところでもあります。

いずれにしろ慣行農法でも自然農法でもよく観察して手を入れ 最高の物を作ろうと努力する日本人にはかなわないと世界が思っているようです。

日本で何十年も百年以上も掛けて作り出した新品種があっという間に世界中に広がります。


 72年も生きてきてやっと動物と植物が似ているところに気が付いた。

 人間が利用している動物や植物は微に入り細に入り良く研究して知っているが,その他の動物は野鳥と言ったり野獣と言ったり 草と言ったり そんな物知らなくて良いという扱いです。

しかし、世の中に存在する物 何もかもがお互いに影響し合って生きている 知らないでは済まされない者だと言うことです。


 福岡正信さんの「わら1本の革命」が究極の自然農なら,僕たちが1年程やってきたのはただ化学肥料を使わないと言うだけの嫌肥料農だったようです。

黒マルチを使い 寒さ除けに透明の袋を掛け ぼかし肥料を作り 牛糞堆肥を撒き 鶏糞を撒く 草引きも熱心にする 慣行農法とは違いますがもし耕耘機や畝立て機が有ればそれらも使ったでしょう。

人間が一生の間で経験できることは知れたものです。

僕たちが海で経験してきたことはそんなに沢山の人が経験したことではないので未だこれが良いという究極の方法というのは解っていないと思いますが、
陸上では沢山の人が同じような経験をし色々失敗もし農業はこうすれば良いというのも解ってきていると言う風に考えられます。

異常に増えた人口を養うために小規模多数の農家では無理な所もあるでしょうが出来れば安心安全の作物が沢山の人に行き渡れば言うことはない。

雑草や虫や害獣達とも対立しない農業の方が安心安全なものを育てることが出来そうだ。

団粒構造のフカフカの土が出来るまで時間はかかりそうだが農薬や殺虫剤を使わない 消毒をしない農業を目指したいものだ。

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