ヨット乗りから見た瀬戸内海(2002/01/22)

私が初めて海を見たのは小学校の時でした。
生まれ育ったところが温泉郡という松山よりずっと田舎の山が両側から迫った道後平野の始まる地点でしたから、
海を見る機会は年に一度行くか行かないかの海水浴しかありませんでした。

水が塩辛いこと、
何故か水打ち際に次々と波が押し寄せること、
水の中にいくつもの陸(島)が浮かんでいること、
そのもっとむこうは見えないくらい広い水の固まりがあること、
そしてその塩水は世界中の国と繋がっていること、
子供心になんだかとてつもなく大きなものを見たという気になりました。

さて大きくなってヨットを始めたわけですが、
そのころはまだ水もずいぶんきれいで、
魚もたくさん居たし、
ヨットで行くほとんど人の来ないどこの岩場でもサザエやアワビを捕ることが出来ました。
スナメリ(ゼゴンド)という小さな鯨にもしょっちゅう合いましたし、
イルカの大群と一緒に帆走するなどと言うことも時にはありました。

島々の風景も今のようにコンクリートの護岸で囲まれていなくて、
人の手がほとんど入っていない昔からの島でした。
勿論その島に住んでいる人の心は純粋そのもので、
ヨットで行くとそれこそ大歓迎してくれたものです。

それが30年経った今は全く違う状況です。
水は濁り夏になると赤潮の帯に出会わないでセーリングをするのはむずかしい事です。
海面近くに浮かんでいる白いナイロン袋はしょっちゅうプロペラにからみつきます。
潮目にはゴミの帯が出来ています。
魚も小魚の時からちりめんじゃことして取り尽くしますので、
大きな魚はほとんど釣れなくなり年々魚が小さくなっていると感じています。
その小さい魚たちの育つアマ藻と言われる浅場に育つ笹の葉を長くしたような緑の藻が砂利採取で海底が深くなり、
ほとんどなくなっているそうです。
サザエやアワビはどこに行ったか影も形もありません。
私はボンベなしで10メートルくらいの潜水は出来るのですが、
それほど潜ってもひっくり返された荒れた岩場ばかりで、
サザエやアワビのえさの海草が生えていないのです。
勿論スナメリにお目にかかるのは何年かに一度になりましたし、
イルカはもう何年も瀬戸内海では見ていません。

一番変わったのは島の風景です。
どの島も(人の住んでいない島でさえ)護岸工事の灰色の帯が海岸線をぐるっと取り巻いています。
おまけに島一週の道路が海岸線から山際からあちこち島の土地を削り取って作られています。
港は立派になり、
波消しのテトラポットはこれでもかこれでもかとあちこちに積み上げられています。
海砂を採取して作られたコンクリートで島の風景は変わり果ててしまいました。

島と島を結ぶ橋もあちこちに架かり、
島の生活も陸とほとんど変わらなくなりました。
それでもどの島も過疎問題を抱えどんどん学校が廃校になっています。
ものが豊かになり便利になった分失ったものは大きかったような気がします。
物質文明を追い求めた結果が今の瀬戸内海の風景です。
失った自然は帰ってきません。

なんだか日本全体の縮図が瀬戸内海の個々の島だと言うような気がしています。

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