59 外洋帆走中の珍経験-4 (疑似死体験)

25年前の太平洋一周中に いよいよだめかと観念した事が2度ある。

一度目は出航からおよそ1ヶ月後、
日付変更線を越えて直ぐだった。

冬の北太平洋は低気圧の墓場と言う通り出航以来毎日荒れた。
一ヶ月も吹かれ続けると10メートルもある波でも なんだこんなものかと慣れてくる。

でもこのときの嵐は特別だった。
4日間も風力12以上が続いた。

何度もノックダウンの末、
二日目にマストを支えるサイドステーが切れてマストを折ってしまった。

マストはあきらめた。
直ぐにターンバックルを緩めてマストを海に沈めた。
マストを引きずって凪を待つ事も考えたが、
マストが船体を痛める事の方が恐ろしかった。

ノックダウンというのは一瞬にして船が90度横に回転させられる倒れ方で、
マストは海面にムチのように叩き付けられとんでもない水圧を受ける。

マストが無くなるとヨットは有るときよりも不安定になる。

荒れ始めて3日目に大波に襲われヨットは完全に裏返しになった。
缶詰や床板その他ごちゃごちゃしたものと一緒に 天井に投げ出された。

この時が疑似死体験の最初だった。
一瞬にしてそれまでの25年間の思い出が頭を駆け抜けた。
その後、ああ 私はこれで死ぬのだな〜とぼんやり思った。

スライドハッチの隙間や落とし戸のベンチレーターから海水が吹き上げていたが、
しばらくすると鴎盟はごろんと起きあがった。
凄く長い時間のようにも感じたが、
おそらく一瞬の出来事だったのだろう。

起きあがると膝まで水浸しで色んなものが浮かんでいた。
エンジンも半分水没していた。
あわててバケツで水をくみ出した。
生きている限りはやれるだけの事はやろうと思った。

サンフランシスコに着いて見ると、
爪には沢山の横向きの谷が でき、
大嵐の回数を表していた。

この時以外に50年生きていて一瞬に死を覚悟した覚えはない。

それ以来 今この一瞬を精一杯生きる事が大切なのだと 私の気持ちは解き放された。
世間のしがらみも慣習も振り払って自分の思うように振る舞うようになった。

随分迷惑を被った人もいるでしょう ごめんなさい。


2度目はメキシコのアカプルコからガラパゴスまでの航海中に黄疸になったときだ。

日本に帰って知り合いの徳永先生に診断していただくと、
ビールス性肝炎とのことだが、
その痕跡も残っていないと言われた。

メキシコには外国人は水から必ずなるという ひどい下痢がある。
水は買って飲まなければならない。

昔の王を白人が殺した祟りだと言うが、
勿論黄色人種も現地の生水を飲むとその下痢になる。

私は歯磨きや うがいくらいは良いだろうとついうっかり生水を口に入れ、
トイレの番人を1週間やる羽目になった。

それが原因だとは思えないが、
とにかく現地の人が行くような怪しい屋台にもよく行ったし、
現地の人と友達になり普通の観光客は経験できないようなことを沢山経験した。

メキシコを出航して1週間位すると体がだるくなり、
食欲が無くなり 私は明らかにこれは病気だなと思うようになった。

体中が黄色くなり、
黄色い汗でシャツもパンツも黄色に染まった。
洗っても落ちないのでそのまま海に捨てた。

鏡をのぞくと目の玉まで真っ黄色の私が居た。

暑いから汗が噴き出すので 水は飲まないといけないと思うが、
水をくむのも面倒なので、
バースの横にポリタンクを置いて眠ることにした。

何日かして意識がなくなり、
朝なのか 夜なのか、
起きているのか 寝ているのか、

最後には生きているのか 死んでいるのか自分でも解らなくなった。

西欧の 黒ずくめで二本角のある帽子をかぶった 悪魔が現れた。
あの 子供達に歯磨きをしないと虫歯になってバイ菌が歯を食ってしまうと教えるときに現れる
槍を持った矢印のような尻尾を持った黒ずくめの西欧の悪魔である。

それが毎日毎回夢に現れてガラパゴスは あちらだ こちらだと 何時も私の思う反対の方角を指すのだ。
同じ夢を何十回となく見た。

腹が減って腹が減ってたまらないのに、
黒ずくめの悪魔達はガラパゴスに着けば美味い物が食えるから早くあちらに行けと私をあらぬ方角に誘導しようとした。

私は抵抗し続けて やっと1週間目くらいに意識を回復した。

腕が痩せて腕時計が肘まで落ちてきた。
肘の関節に引っかかって肩までは来なかった。
ラジオで日付を知り、
時計を合わせて天測をして位置を確かめようとしたが、
何日も片手では 六分儀を持ち上げることが出来なかった。

メキシコからガラパゴスまで1000マイルを一ヶ月以上かかっている。
普通なら10日くらいの距離である。


太平洋一周の間 髪を切らなかった。

日本に帰ったら腰まで伸びていた。
同じ長さの部分に1センチくらい真っ白い部分が出来ていた。
あれはきっと西欧の黒ずくめの悪魔のせいだとおもう。
私は実際に死んでいたのかも知れない。

帰港してから さほど兄思いでもない妹が私の太平洋就航中に 二度 私の夢を見たと言いだしたので、
航海日誌をひもとくと二回ともぴったり私が死にかけた日だった。
不思議なこともあるものだ。

これが私の外洋帆走中の疑似死体験です。

海の広場に戻る

homeに戻