2000/5/16  7 ヨットって何?

 人によってヨットに関する考え方は違うと思いますが、私の場合のヨットとは何処にでも行ける家の様なものです。多くの人がスポーツとしてのヨットを考える様ですが、私の中のヨットには全くそれは含まれません。登山でもランニングでも何でも人と競ってスポーツにしてしまいがちですが、ヨットこそ全くその世界に向かないものだと思います。早く走らせる為の選手は要らないし、身体を使う事もあまり有りません。映像や記事になり易い花々しいレースの世界では限界ギリギリを走らせる事も有るでしょうが、私は常に8分目で余裕を持って走るのが好きです。常に余裕を持って走らせると言う事はなかなか難しい事なんですよ。


 私にとって、天気を読んで空の状態、風の流れ、海の波、太陽、月、星、を見ながら何処までも安全に気持ちよく日々の生活が洋上で送れるかが、一番重要な事なのです。一番危険な出入港の技や、本船を避ける方法や、荒天に対処する方法、安全に生きて次の港にたどり着く為の一切の精神論抜きの技法をシーマンシップと言います。最低1分以内に目をつむって舫い結びと、クラブヒッチと、クリート結びと、エイトノット位は出来なくては、ヨットの船長として海に出る資格は無いと思っています。技法と言うのは慣れで体得するもので、頭で解っても何にもならない物なのです。


 金銭に関係なく目的も持たず、行きたい方へ好きな様に走る舟をヨットと呼ぶそうですが、その中でもセーリングボートはその運行によって他へのダメージが少なく自分の責任で何処までも行ける数少ない乗り物では無いでしょうか?無補給で地球を1周できるのはセーリングボートと人工衛星だけでしょう。個人の力でそれをやれるのはセーリングボートだけだと思います。そんな奥の深い乗り物に取り付かれてしまった私には、他には趣味は有りません。2番目に好きなのがヨットを作る事です。作る方ではお金を儲けて生きて行かなければならないので多少は意に沿わない事もしますが、乗る方では金銭的にも責任においても自分の力量をこえない範囲で楽しんでいますので、社会と言うか世間と言うか人からとやかく言われる事は無いと思います。自己責任で完結させる事ができるのがヨットの良い所だと思います。ハイキングみたいなものでしょうか?帆走の歴史の長い外国に行って、始めてヨットは独立王国だなと自覚させられました。勿論海の上では地位も名誉もお金も今まで人間社会で通用していたものが総べて無となる世界ですから、今の自分の実力だけが頼りのスカッとした楽しさを経験出来ますし、全ての飾りを捨てた自分と対面する事になり、人間社会で生きているだけでは経験出来ない非日常の体験ができます。それがヨットだと私は思います。

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