93 32フィートガフケッチ「4」

2004年7月21日いよいよ32フィートガフケッチ船体を工房から出して、
近くのアンカレッジマリーナに陸置きしてもらった。

まだメインマストとミズンマストを作るという仕事が残っている。

そもそも 32フィートガフケッチがスタートしたのは1984年12月当時横浜に住んでいて、
横山晃さんというクルージングヨット設計の第一人者に私の船の設計を依頼したところから始まる。

私の理想とするヨットはこんなヨットですというのを120件箇条書きにして横山さんにお見せした。

横山さんの答えは
32フィートがよいでしょう。
でもそんな船は自分の設計ストックの中にはありません。
だから 新しく設計しますがその船は特殊すぎて設計図2枚目は売れないでしょうから、
新設計の設計原価を頂きますと言うことでした。

その時33歳で何物も怖いものの無かった私はなけなしの金を払って設計をスタートしてもらいました。
確か若いときの航海に使った「鴎盟」(おうめい)という25フィートヨットを売ったお金だったと思います。

そして古里 愛媛に引っ越しヨット工房を始めました。

しかしプラスチックヨット全盛の時代に木造ヨットを注文する人はあまり無く、
最初から暇をもてあますヨット工房でした。

それでも私はめげることなく最終目的の自分の船を完成させるために、
暇なとき図面を見ては自分の船の部品を作り貯め始めたのです。

工房を初めて20年ほど経ち工房の二階現図場は自分の船の部品で埋まり始めました。
ラダーやティラーやスケグや フレームやデッキビームまで
部品として作れる物はどんどん暇に飽かせて作り貯めたのでした。

そしていよいよ今度の大不況になり全く仕事がストップしました。

2002年9月半ばからこの機を逃しては永遠に自分の船にかかる機会は無いだろうと考え、
工房が全く使えなくなることを覚悟の上で32フィートガフケッチをスタートさせました。

最初は部品はみんな有るのだから1年くらいで完成するだろうと甘い読みでしたが、
途中で時々入ってくる仕事を断る訳にも行かず、
(仙人ではないので霞を食っては生きていけない)
結局2004年の今となってしまいました。

プラモデルを組み立てる感覚でなにもかも準備が出来ているんだから32フィートガフケッチも
わけなく出来るだろうと考えたのは半分正解また半分は仕事が入り始めて不正解でした。

多くの人に聞かれるのでかかった時間と材料代を公表します。

32フィートガフケッチのために費やした時間は部品作り1年半、
船台を据えて作り上げるのにおよそ1年。
(1年は飯を食うための仕事をしていたのと、遊びの時間です)

材料代は消耗品をのけて1000万円を出るくらいです。

売るとしたらと言うのもよく質問されるので書いておきます。
3000万円でしょうね。
でも自分の船だから売りません。

もし手放したらもうそんなに大きな船を造る気力が残っていないような気がします。

それに自分のために作った質実剛健のみの見せ場のない売れない船です。
手抜き作業も良いところなのでヨットに住んできちんと管理できないような人だと、
30年くらいで寿命が尽きると思われる出来です。

でもそれで良いのです。
100年もつ船は必要有りません。
30年しっかり強度を保ち私が生きている間浮かんでいてくれたらそれで良しとします。

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