94 もの造り(2004/08/07)

ヨットに限らずものを作ると言うことは作り手がどんな生き方をしてきたか
どんなことを経験してきたかその人の過去が全部あらわる様な仕事だ。

車の生産ラインで機械では出来ないことを流れ作業的にやっている人は
私が考えるもの造りから一番遠いところにいるもの造りかも知れない。

一仕事としてのもの造りを考えるとき主体的にどんなものを作ろうかと言うところから自分で考えなくては面白くない。

こんなものを造りたいから、
こんな材料を手に入れ(何処へ行ったら手にはいるかを調べるところから始め)、
こんな技術を身につけ、
それが作れるだけの場所や工具を手に入れ、

いよいよスタートしても問題山積みでそれらを一つ一つ解決していく内に だんだん腕が上がる問題解決能力も増していく、
そんなもの造りがしたいものである。

 

ところが現代社会では良いか悪いか教育が発達し、
小学校から高校まで全国でほぼ同じ事を教える。

社会の歯車の一つ一つを量産するには教育の仕組みは良くできたものだ。

習い癖が付いた人は何でも人に習わないと何も自分では出来ないと思う様だし、
ああしろこうしろと命令されないと何をして良いか判断できないおとなしいサラリーマンを作り上げる。

そんな人々は政府にたてついたりはしないし、
テレビのお笑い番組を見て日々楽しく過ごす方法を知っている。

 

最近大工さんが一人で作ったという木造住宅を見る機会があった。

木としっくいだけの家というのも珍しいが(畳みもない)、
全体のバランスから、
大工さんが作ったという建具に至るまで、
新建材はもとより合板も使っていない素晴らしい家だった。

住む人と造る人の気持ちが 一体となって生活に合わせてこんな家も出来るんだなあと感心した。

 

さて私の船造りを振り返ってみると、

30歳くらいから木造ヨットを作り始め20年以上かけてやっと自分の船を造ることになった。
準備期間も長かったが作り始めてからも結構な時間を使った。

それでも思った通りの半分くらいしかできない。
見切り発車で浮かべることになるだろう。

生きていると言うことと同じでストップすることは出来ない。
乗ってみてどんどん自分に合った様に変えていくつもりだ。

ヨットを造る前にヨットに比較的長時間乗った経験が
肝心な部分は間違いなく造ってあると言う自信に繋がっている。



私の様にヨットでずっと生活したいという人は少ないかも知れないが、
デイクルーズでも一週間のクルージングでも、
そこには独立した船のそれなりの暮らしがある。

一市民として個の独立を考えるときヨットは素晴らしい空間だと思う。

ヨットという小さいが生活全般に関わることが出来るもの造りを仕事として楽しかった良かったと思う。

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