68 外洋帆走中の珍経験ー5(AHE島)(2003/01/06)
AHE島は人工40人程のの南太平洋に浮かぶ島です。
仏領ポリネシアの南米大陸から3000マイル西に(日本に近い方)に進むとマルケサス諸島があり、
その次がツアモツ諸島です。
その次がソサエティー諸島で、
そこには仏領ポリネシアの主島タヒチがあります。
AHE島は二番目のツアモツ諸島(珊瑚礁の島の群)に属します。
島は珊瑚の死骸で出来た環礁です。
海抜40センチメートル、
島中で一番背が高いのは椰子の木で9メートルか10メートルくらいもあるでしょうか。
人々の生活
圧倒的に自然です。
家族の一人が一日1時間くらい環礁内で小さなくり抜きカヌーを操って魚をヤスで突いて捕る漁をしま。
仲良しになった18歳の青年と一緒に漁に行きましたが、
2メートルくらいある鮫と一緒に泳ぐのです。
アッという間に20匹くらいの魚が突けます。
するとだんだん鮫の数が多くなり、
突いた魚に突進してきたらそれでその日の漁は終わりです。
怖くないかと聞きましたが、
一度もおそわれたことはないし、
全く怖くはないそうです。
私は鮫と一緒に泳ぐのは初めてなので漁どころではなくずっと後ろをきょろきょろしていました。
魚とタロイモとパンの木の実とココヤシミルクが彼らの毎日の食事です。
一日に二食ですが石を焼いておいてバナナの葉っぱをその上に乗せ、
魚やタロイモやパンの木の実をバナナの葉っぱに包んでその上に置き、
なおその上にバナナの 葉っぱを被せてその上にも焼けた石を乗せて全体を土で覆います。
ウム料理という蒸し焼きです。
1時間以上も待って出来たら掘り出して、
脂っこくて美味いココナツミルクをかけて食べます。
腹一杯食べたら昼寝です。
そして起きたら夕食の準備なのです。
みなさん病気の人以外は圧倒的に太っていました。
AHE島の産業
ないだろうと思ったのにあるのです。
ココヤシの固い殻の中にあるココの実を取って干してコプラというものを作ります。
高級石けんの材料になるのだそうです。
人々はそこら中にある(勿論持ち主が決まっているのでしょうが)ココヤシの実を木に登っては採って、
それの外の繊維に覆われた部分を外し、
中の固い殻を取り出して、
それをブッシュナイフの背で割り中身の白い固まりを取り出します。
それを雨に当てない様に上手に干してコプラを作ります。
年に2回来る定期船に売るのだそうです。
1年間の働きでトランジスターラジオ(スピーカーが大きくて短波放送も聴ける結構良いラジオ)が買えるくらいだそうです。
タヒチからのニュースや音楽を聴くことが出来ます。
凄いと思ったのは誰かがラジオを買ったら僕も欲しいから仕事をしてとは思わない様で、
そのラジオを島中の人が集まって聞いていると言うのが凄いと思いました。
娯楽
何と言っても島の人々の最大の娯楽は歌を歌うことです。
全員が歌手だと言ってもおかしくないくらい歌が上手です。
鍛えられた裏声で、
ギターやそれに似た自作の弦楽器などで それは素晴らしい歌声を
毎夜毎夜ワーフ(船着き場)で 聞かせてくれました。
日本の歌手と比べてもどうしようもないのですが、
彼らの声こそ本当に鍛え上げた人間の声のもてる美しさの限界だと感じました。
世界中の多くのクルージングヨットが集まる島なのだそうですが、
(私がいたときには7〜8艇居た)
あまりの心地よさにパスポートを破り捨ててこの島に居着いてしまった人が居ると聞きました。
その人の立てた海上の小屋が ワーフの中にぽつんとありました。
フランス人で今は本国に帰っている有名なヨット乗りだそうです。
フランス人は良いなあ・・・・・
こんな話も聞きました
台風の様な大嵐が来たら海抜40センチメートルでは海水に島全体が浸かるだろうと言うと、
その通りなのだそうです。
50年に一回くらい 大嵐が来て島の陸地はみんな波に洗われるのだそうです。
この前の大嵐では波をやり過ごそうと強そうなココナツの木にみんなが登ったのだそうです。
そうするとココナツの木が風でしなってびゅんと元に戻り
上の方に登っていた人が何人か波にさらわれたそうです。
童話の様な、
嘘みたいな本当の話だそうです。
楽園の島の心配事
AHE島は土地も痩せているし、
海抜40センチでは地下水も出ません。
それで水は貴重で、
どの家も軒から雨樋を通してドラム缶やセメントで出来た水槽に水を溜める様になっています。
ところが私がAHE島を訪れる何年か前にフランス政府がムルロア環礁で原水爆実験をやり続けその死の灰が
たまたまAHEの方向に吹いた風に運ばれて貯水槽に入ったのだそうです。
タヒチから給水船がくる間 水を使わない様に無線で言われたそうですが、
そんなわけにも行かず仕方なく水を飲んだ村人全員の髪の毛が抜けたと言います。
日本に原爆が投下されたことを知っている彼らに放射能について質問されたのですが、
私の知識では殆ど答えにはなっていなかったでしょう。
それでも彼らは行くところもなく昔からの生活を続けるしかないのです。
クルージング のおかげで世にも珍しい経験が出来たと思っています。