ヨットを自作建造する海外日本人
海で生き残る条件(1)
1983年10月
横山 晃


 舶検に合格する。

 操縦免許を持つ。

 ディンギーならライフ・ジャケット、少し大型の艇ならハーネス、無電、ライフラフトなどの安全備品を整備する。

 荒々しい海には行かない、シケてる時には出港しない。

 不沈不転のフネを買う。

 水泳を習っておく。

 冒険など、やらない。


 「これだけ条件が揃えば,死ぬはずがない」とたいていの人は思うに違いない。
 それに,最初から全部は無理でも、@〜Cくらいは最低条件だし、その条件を揃えたグループに参加すれば、バスに乗るのと同じ手軽さで、その条件はすべてOK。

 それ以外は、Dはオーナーの問題だし、EFはリーダーの問題だから、一般ヨットマンは関係ない。

 などの方法は、一見良さそうに見えても、本当は大間違いで、毎年確実に遭難は発生するし、1960年代の日本ヨット界、1979年イギリスのファストネット・レースのように、一夜に5人も10人もの大量遭難死亡者があって、その実態を調査・分析すると、上記@〜Fとはまったく別な次元で遭難しているのだ。

 だから、仮に@〜Fがどんなに完璧な優等生でも、遭難するフネは遭難するし、死ぬ人は死ぬのだ。

 しかも、生き残れないフネや人には、偶然ではなくて必然の「何か」が働いていたようだ。

 私は40年以上も前から、その「何か」の正体を追い続けてきたので、そのことについて書いてみよう。
 
 だが、その前に、一見合理的な前述の@〜Fが、何故ダメなのか、一応書いておく。


@A   船検と免許は、先進の諸外国にはなくて、日本にだけ存在する制度だ。だから「日本に、ナゼあるのか?」よりも、「先進国には、ナゼないのか?」の方が注目に値する。

 船検は、「国が基準を定めて、それ以外の船を許可しない」という制度なのだが、元来、定期路線のバスや乗合船なら、基準を強制しても良いのかも知れない。 けれど、自分の足と自分の意思で歩く個人の靴には基準など定めないのが世界の常識で、登山のような危険なスポーツでさえ、「登山靴を穿け」などの強制は不要だ!! というより、強制は有害なのが実状で、それよりも「靴とワラジと、どちらを選ぶか?」などの、選択の責任を登山者自身に負わせる方が安全に役立つ。

 船検の場合も、「その海で、その日には、このフネで安全か否か? それを判断する責任は当事者にあって船検側にはない!!」と検査機構の人は断言する。 そのうえ、検査合格のフネが遭難しても、検査側は一切の責任を負わない。
 「それなら、何のための船検か?」を調べると、結局は、「もしも船検をやらずに遭難すると、国会の野党が、遭難するようなフネを野放しにするのは政府の責任だと主張してゆずらない。 だから、船検を行なうのだ」という論法らしい。
 そのように、政府が一切の責任を免れるための船検ならば、検査による受益者、は政府なのだ。 それでもなお、検査料は受益者負担だと言ってオーナーから取っている。 ……変な話ではないか?

 操船免許も、本来の目的は「船上の人々の安全のためではなくて、水中を泳いでいる人に危害を加えないため」なのだそうだ。 ところが、セーリング・ヨットが遊泳者を殺傷した実例はほとんどない(たぶん、まったくないはずだと私は思う)。 なお、余計なことではあるが、「免許を持つ人は死なない、とか、死亡率が低い」などの実態は、まったく見られない。

 それなのに大袈裟な制度で、多数の国民の責重な時間と責重な財産を奪い取っているのは、「奪うことだけが目的」という見方をされても仕方あるまい。 それとも、船検と同じに,「政府は危険なスポ−ツを野放しにしてない」などと、焦点のスリ替えを目論んでいるのだろうか? 
  ともあれヨット関係の諸兄姉は「船検と免許は、ヨットマンが生き残ることには、まったく無関係なのだ」ということだけは、自分のイノチに関係があるのだから、忘れて欲しくない。

 安全のための備品は、使わない限りは役立つはずが無いのに、死んだ人達は「持っているのに、使わなかった」とか、「持たねばならない、という知識があるのに、持っていなかった」などと、尻抜けなのだ。 ……それはもう、知識・整備・検査という分業意識では解決不能で、本当は、号令、シツケ、強制、習慣変更などと、早急に別次元のメンタリズムに変更することが要求されているのだ。

 陸上ならば危険な場所は指定できるから、「行かない」という選択ができる。 ところが海は、日常は平穏な海が、一陣の突風と共に凄まじい修羅場に一変するのだから、「行かない」という場所の指定などできるはずがない。
 また陸上ならば、霧に巻かれたときには、「動かずに晴れるのを待て」という教訓どおりにできる。 ところが海上では、セールを降ろしても流されるし、アンカーが効く所など、広い海上には1%も無いのだし、アンカーが効くほど陸に近づくことは、晴れた時でも絶対に禁物だ。
 また実際問題として、「シケてないから出掛けよう」という弱気の人と、「シケの海でも立ち向かうシーマン」と、どちらが生き残るか? と言えば、勇敢に戦うシーマンの方が生き残るのだ。
 例えば、20年ほど前のビスケイ湾(フランス西部)の大遭難は、急激に襲ってきたシケの中で、最寄りの安全な港に入港しようとした艇団が、港口で折り重なるように遭難し、多くの死者を出した。 ところが、沖に頑張って大シケに立ち向かい、勇敢に戦い抜いた艇団は無事だった。 そうなるとCとはまったく逆に、海で生き残るには、「荒々しい海に立ち向かうシーマンであること、シケが来ても逃げずに戦うシーマンであること」と書き替える必要がある。
 ところが「生まれつきの勇者」などはいないのだし、最近の子供は自信過剰で、できないことでも「できる!! できる!!」と飛び出して失敗する傾向があるから、勇者に仕上がるより遥か以前に死ぬ確率が高い。 さりとて、勇者教育を順序立ててやる学校や塾は無いようだ。……どうする??

 量産ディンギーのほとんどは,「何十回チンしても、すぐ起こして走れる」という宣伝つきだ。 また、バラスト・キール付きのクルーザーもレーサーも「不沈不転」の宣伝つきで売られている。
 だからユーザ一連は、「量産メーカーが安全を保証している」と思い込むのは当然だ。
 ところがその量産艇が、性懲りも無く転覆や沈没のトラブルを起こして人命が失われる。 そこで仮 に、誇大宣伝、不当標示を振りかざして訴訟を起こし、人命損失の莫大な代償額を要求しても、「そのフネを操船したのはメーカーではない」とか、「危険な気象の下に、危険な場所へ出て行った選択をメーカーが行なったのではない」などの理由で逃げられるに決まっている。

 今年の7月に、伊豆諸島の鵜渡根島付近でモグリの最中に黒潮に流され、50時間以上も1人で漂流した後に、千葉県・銚子の近くで救助された東京の人は、沖縄出身で水泳の達人だった。 だから冷静で、「泳いで体力を消耗したら助からない」と知っていたので、泳がずにフネに出会うのを待ち、無事に救助された。 結局、「彼は泳いだから助かったのではなくて、泳がなかったから助かったのである」……となると、「泳いで助かろう」という題目は有害無益なのだ。

 「冒険をやらない」ということに徹するなら、フネに乗らない方がよい。 もしも乗るのなら、Cに述べたとおり、勇ましく戦うシーマンでなければ生き残れない。 ということは、「海へ出る以上は勇敢な冒険者であれ」と書き替える方がよい。


 私はヨットに乗りはじめてから50年になり、その前半は冒険航海志願者だった。
 だから海へ出かける時は、いつも勝目の薄い真剣勝負に立ち向かうような、決死の心境で身辺を清め、心を静めて呼吸を整え、野望を捨てて慎重に作戦を練り、気象変化のタイミングを計り、潮時に合わせて行動を起こすなど、桶狭間に出撃する織田信長に似ていた。
 だからヨット界の誰よりも、母や妻に心配と心労を負わせ続けた。
 そして50年の後半は,NORC(日本外洋帆走協会)の安全委員長になり、同時にマスコミからは「冒険ヨットの教祖」と呼ばれ、その上「ヨット設計家」でもあった。
 しかも後半は、前半とは逆に、「危険な海で生き残る秘訣を多くのヨットマンに役立てる」という目標に向かって、全力投球を始めた。
 そこでおもしろいことは、私の内部では、「外見的には逆向きなことが、すべて同方向」だったのである。

 つまり、前半に母や妻を心配させたことと、後半に他のヨットマンの母上や妻君の心配を除去するために行なった努力とは、一見逆向きに見えても、私の中ではまったく同方向で、同一線上にあった。
 また、後半に、安全委員長だったことと、冒険ヨットの教祖だったことも、一見逆向きに見えても実はまったく同方向で、上記のとおりに「安全の基本は冒険志向である」と説き、冒険者達には、「安全対策のガードが固まれば、より大きな冒険への戦力になる」と説いた。
 そして、日本の海が世界第一級の危険な海であることが、安全教育に最も役立ち、より高度の冒険者を育て、世界最強のヨットを生むためにも、最良の条件であることを、固く信じて唱え続けた。
 その日本の海は、気象は急変しやすく荒々しく、海岸と海底の地形は怪奇である。 したがって、潮流も海流も波浪も、すべて複雑で難解で激烈なのだ。
 だから古来の日本人は、「海には出るな!!」という唯一の方法で安全を保ち、その危険な海が外敵の浸入を防いで、安住に適した国土を守ってくれた。
 そしてごく少数の海洋民族系の人々だけが、海のプロフェッショナルとして、普通人との間に際立った断層を作っていた。 だから、「海では,運の良い人でない限りは、生き残れない」という伝説が、意外に根強い説得力で、いい伝えられた。


  「運の良い人」とは……  

 その言葉は、現代では死語になったようだ。 けれど現代の若者の視野の中にも、それに近い人々は実在する。
 たとえば、海上に流れる風には、多少なりとも上向き、下向き、右向き、左向きがあるし、風力も一様でない。 ところが超ベテラン・ヨットマンがフネを走らせている場所だけは、いつも最良の風向と最適の風力が安定している不思議さは、まったく超能力のような芸術で、その人が風を選ぶのではなくて、風がその人を選んで集まるとしか思えない。
 商売の名人も同様で、その人はいつも、「良い商運と共にある」ように見える。 そのように、どの分野でも各人と運の良さは密接で、その同一人物を表から見ると「運の良い人」で、裏からよく見ると名人なのかも知れない。


    運命を変えることは、できません
    けれど人は、人生を選べるのです


 という詩には、感動的な示唆があった。 それでも私達の深層からは、「運命だって選べるはずだ!!」という反論が、竜巻きのように湧いてくる。
 その反論は、まだ整然とした理論に固まる以前のもので、輪郭がモヤモヤした星雲のようなものだが、その中心部には、シーマンの立場で大自然から教わった経験則が色々あった。
 たとえば、風向・風力を変えるのは不可能でも、風を選ぶ自由は確実にある。 例えば風道にい続けるか中心を外すかは、現場の判断で選べるのだし、風域に巻き込まれずに,風域の前線を逃げ続ける可能性もある。 また時には、風域を見物しながら、外側で次のチャンスを待つ手もある。
 それとも、大巾に別な風を選びたいなら、総てのタイミングを前以て何時間かシフトするだけで、正反対の風向、もしくは大幅に達う風力を選び取る可能性もある。
 ただし、風道や風域が見えない人は、現場判断などできない。 また、風向・風力の予測が的確でない人には「タイミング・シフト計画」など、やれるはずもないから、やはり風を選ぶ資格は、特殊な練習を長期的に続けて、筋金入りの特殊技能者になることが先決のようだ。
 潮流や海流の選択も可能なのだ。 それにはまず、漁師さんが「山を立てる」のと同じ手法で、陸上の山筋や谷筋を観察し、その筋が読めたら手前の海底に延長してくる。 そうすれば、海底の山筋と谷筋が読めるから、追ってくる底流(そこながれ)まで推測できる。
 海面の流れは見えるから、その源流となる底流れさえ読めれば、「次に、どう変化するか?」という予測も立てられる。 だから、すれ違って逆流する反流の出没まで予測してかかれば、不利な流れを避ける選択でも、有利な流れを逃がさずに利用する選択でも、思いのままにできる勘定だ。

 けれど、潮は生き物のように変化するから、いつも「次に、どう変わるか?」を狙って、先手、先手ととって行かないと、「今、あそこに良い潮がある」などと追って行っても、行き着いた時には逆転を始めるなど、後手に回ると次々に振り回される。
 だから風を選ぶのと同じに、的確な予測力が必要で、それには何回も、様々な潮替わりの現場を経験して、色々な定石を探り当てるという、経験の蓄積が第一に必要なのだ。 そして同時に、現場の推理力と想像力を鍛える修練が第2の課題なのだ。
 その2つを集大成すれば、犬、猫、馬を扱い慣れた人が、「この顔ならば、次にこう動く」とか、「あの姿勢ならば、当分は動かない」などと次の動作を予測するのと同様に、潮流と海流の変化を予測できるようになる。
 だから、ペット動物を飼い慣らすのと同程度に、潮との付き合いを、根気よく続けながら深めていく必要がある。


 

 夕方の日暮れの海も、私共に多くのことを教えてくれる。例えば……
 1964年、東京オリンピックのヨットレースが江の島で始まる直前に、私が最大の興味を持ったのは「先進諸外国の一流ヨットマンと、後進国日本の一流ヨットマンはどんな点が違うのか?」という点だった。

 その時に発見した色々な違いの中から、夕暮れの部を紹介すると、フネを片づけると、日本選手は早々と宿舎へ引き上げるのだが、諸外国選手は、海に面した擁壁にしがみついて、日没の海から眼を離さずに真っ暗になるまで海を見詰めていた。それも1人や2人でなく、何十人も一列に並んで、一言も発せず、身動きもせずに海に魂を奪われていた。

 彼らはおそらく、水面の色と艶を見て、風ムラと潮ムラを見抜き、それが移動する動向から、水面下の水の動きから、水面上空の気流に到るまでを、すべて見抜くことに苦闘していたに違いない。「こんな素晴らしい勉強に没頭する人々の中に、日本選手が1人でもいたら……」という期待で、私は1人1人の横顔を見て廻ったが、残念ながら、1人もいなかった。その時に私が予感した「負けたな!!」という思いは、不幸にして的中して、レース結果は惨敗だった。


 そのような糸口で、気象、海象と付き合っていけば、やがて「気象、海象選択法」という仮説を立てることに成功するはずだ。
 次に、週末ごとの長時間帆走に試用する内に、予測術の熟練も進み、適中の自信が固まり、その自信が次の発見につながる、……などの循還作用が発展すれば、「運命だって選択できる」という、人生への自信も湧いてくる。

(つづく)

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