海で生き残る条件(5) 1984年2月
横山 晃




 海で生き残るには、物量に頼るのと、人間の野性に頼る、という両極端が考えられるけれど、野性主義の方が、物量主義よりもスポーツにふさわしい。
 とりわけディンギーの場合は、フネ自体も乗り方も、物量主義とは逆向きなのだ。それでもなお、実際に「生き残る」というテーマを語る時には、

Ⓐ   海へ出ないで池のような平水面だけで乗る

Ⓑ   周到な監視、救助システム完備という幼稚園方式

Ⓒ   そして、「野生に頼る」という方式もある


 ……などと、3つを同時に考えることはそれほどなく、たいていはⒶⒷの2つだけとか、Ⓐだけ、Ⓑだけ、などという短絡思考の人々が多い。
 だが、もしも、Ⓐを採って自分の行動範囲を狭めていったら、最後には屋内スポーツ以外には手を出せなくなるだろう。またⒷ方式には、「過保護と干渉過多のために人間性がスポイルされる」という問題がある上に、「上手の手から水が洩る」という格言のとおりに、僅かな不注意や思いがけない暴走者の出現で、事故の出現を防ぐことはできない。ところがⒸ方式ならば、すべての責任は当人に在るので、管理者や政府には、一切の費用も努力も必要がなく、その割に事故は起こらない。

 その最も無難なⒸ方式は、もしも成功すればスーパーマン的なシーマンが誕生して、レースにもクルージングにも活躍が期待できるし、そのスーパーマンは海で生き残れるだけでなくて、「山岳でも雪中でも都会でも生き残れる」というサバイバルの名人になることも期待できる。
 だから、ディンギーの帆走は冒険行為であり、しかもすべての大型ヨットを扱う基本であるということを否定せずに、野性復活に向かって第一歩から踏み込んで行くのが正解、であって「長時間帆走というトレーニングが、唯一無二の練習法である。


  チンしない帆走法  

 「長時間帆走」は早朝とか日暮れとか、誰もいない海で行動する機会が多い。
 その上、春夏秋冬のオール・シーズンを通じて行なうのだから、突風などのシケに出遇う確率は、短時間セーラーの10倍もあるはずだ。
 なおその上に、ディンギーで、しかも1人で操船、という悪条件が重なるのだから、普通のヨットマンの10倍遭難したって、不思議ではない。
 だから、最初の第一歩から必要なのは、チンしない帆走法の4ヵ条である。
①   その第1条は、フネの選択である。すなわち、先天的に粘り腰の、チンし難いフネ。そのフネはジブなしでも完璧に走れること。メインセールは帆走しながら短時間にリーフ(縮帆)できること。何回でもリーフの追加が可能なこと。そして最後には、フルメインの1/2以下、ジブ付きの1/3以下までリーフできること。などなど、前々号(12月)の記事を、もう―度読んでほしい。

②   気象予報は少なくとも1~2時間先まで99%の正確さで予報するつもりで、早急に腕を磨くこと。
--その詳細は前号(1月)を復習すること--

③   初級の練習500~1000時間は、常に1時間以内に避難港へ確実に入港できる条件の範囲で練習すること(そのためには、避難港の港口付近の海況と潮流と海流などを、確実に調査しておくこと)などなど、1月号を復習する。

④   フル・ハイクは10秒以上続けないこと。


 以上の4ヵ条が完全に守られるなら、どんなに悪い状況でも、チンせずに帆走できる。
 その4番目の「フル・ハイクは10秒以内」という項は、聞き慣れない人が多いはずなので詳しく説明すれば……
㋑   常時は必ずコクピット内に座し、ジブシートもメインシートもワンタッチ・クリートに止めておくこと。 (私はディンギーに乗っても、フル・ハイクの5秒間以外は、サイドデッキに腰掛けなかった。 また、私が愛用したクリートは自作の木製で、カムクリートやクラムクリートよりも素早く一瞬で操作でき、闇夜でも無灯火で一瞬に操作できた) コクピット内の定位置からフル・ハイクまで、1秒以内(なるべく0.5秒)で、素早く移動する動作を、日常から充分に練習しておくこと --それは、1秒以内に、フネの復元力モーメントを2倍以上に「増大する、という唯一無二のテクニックなのだから、 何十回でも、何百回でも、何千回でも、できるようになるまで、練習しておく必要があるのだ--。

㋺   フル・ハイクと同時にティラーを操作して、セールを少しラフ・アップして、風を適度に逃がす練習も、機会あるごとこ行なう。 (風を逃がすためのシート操作は、やってはイケナイ)しかも、殴りつけるように強烈なブローを喰いながらも、その風力増加傾向に合わせてフル・ハイクと ラフ・アップを同時進行させて、ヒール角を一定不変に保つこと。

㋩   この動作は至難のワザなので、やはり何百回も何千回も練習が必要である。けれど、春夏などの良い季節の海上では、一生涯かかっても、そんな回数など練習するチャンスがない。 だから、秋から冬にかけての木枯らしの季節に、大きな川へ入って、近くにピルや橋のある場所へ行けぱ、1日何回もの強烈なブローが注文通りにきてくれる。 とにかく、一瞬の危機の中で、体重の移動とシート捌きを同時に行ない、しかも1/100秒以内にヒール角を変えないようなコントロールを行うのだから、 正に神技というべき名人芸が必要なのだから、これが修得できたら、宮本武蔵のような剣道の達人が「斬るか斬られるかの一瞬」のために、きびしい修業を積んだのと同等の価値があるのだ。

㋥   ブローは、図(215頁)のように風力の増加が急速で、それが急速ならなおさら早く、風力のピークが来る。
 その後はすぐに、緩慢な減少が始まる。その減少が半減に達するのと同時に、緊急リーフィングを行ない、なるべく早く①の定位置に戻ること。 なぜそんなに定位置に戻るのを急ぐのか、それは、猛烈な突風が襲ってくる手順は10~2Q抄刻みで、しかも、強烈ブローが重なるように来て、 段々に猛烈になって行くのだが、2~3回に1回ぐらいには、猛烈度倍増の感じで、殺人的なブローが来るから、たとえ前回と同程度のプローが続いても、 これで安定したなどと甘く見るのは禁物だからだ。 やはり、「1回ごとに激しくなる」という想定を続行して、リーフを先行すれば、その殺人ブローにも殺されずにすむのだ。

㋭   そのように、「突風がエスカレート傾向にあるのか? それともピークに達したのか?」を見極めるには、海の顔色を見ることだ。 すなわち、風上方向の水面の色と艶を見ていると、エスカレート期には急速に黒ずんで、粗面になってきて、次には白波が混じり、段々に白部の比率を増す。 (その頃には、風速は10~12m/secになってくる)やがて、風速が15m/secを超す頃からは、海上の全面が白くなって、波頭のシブキが霧状のベールになって水面を走るようになるのだ。
 そのような海の顔色のパターンは、一度見たら一生涯忘れられないほど凄惨なものだが、その顔色の変化が、風上方向の海上でエスカレートし続ける限り、 風カエスカレートも続くものと、覚悟する必要がある。だから、セールのりーフをしても、「これでよろしい、などと安心するのは早計で、 プローの始まりから10秒後には定位置に戻って、次のブローに身構え、次回のリーフに身構える必要があるのだ。
 それなのに、もしも、 ブローの始まりから10秒経っても、セールのリーフもやらずに、「愉快愉快!!」などとフル・ハイクを続けていたら、次のブローでチンして、 その後の白い海で犬死にする運命が待っているのだ。だから、どんなに血迷っても、フル・ハイクを10秒以上も楽しんでいてはイケナイのだ!!

㋬   シート類は、ゆるめないのが原則である。理由は、これまでの説明で判るとおり、体重移動とティラー捌きだけでも手一杯なのに、 海の顔色うかがいからセールのリーフまでやるのだから、まったく手が回らないという言葉どおりなのだ。
 しかもブローを喰らってから10秒後には、またノーマル帆走に戻って艇を加速しておかないと、ここ一番という、喰うか喰われるかの一瞬に、 舵が効かないような鈍速になっていたのでは、ティラーをどんなに素早く操作しても、フネがついてきてくれない。
 したがって敗戦となるのだ。だから、シートのアジャストを、ベストの位置に定めたらクリートしておく方が良いのだ。  話のついでに、シート・アジャストの一般的な基本を言おう。
 ジブ・シートは、タッキングノのとき意外には絶対ゆるめてはいけない。 ナゼならば、ジブの駆動力は、シートを緩めた瞬間から急激にゼロになる。(メインシートの場合は、シートを緩めるにしたがって、 セールのリーチから徐々に駆動力が落ちていくのだが、それでもマスト寄りのラフ部分は、かなり後まで駆動力を発生し続けている。
 それとまったく対照的に、ジブシートには、「少しだけ風を逃がす」という手加減がないのだ。ジブシートの問題点はそれだけではなく、 風を逃がす間から手荒いシバーが始まり、セールが風を孕んだ時よりも裂けやすくなり、ゆだんするとすぐにボロボロの糸になっていく。 だからジブで「風を逃がす」という使い力は禁物で、少しでも早期に、降ろして片づけてしまうのが正解である。
 また、もしもメインに裏風が入る場合は、シートを緩めてゴマ化すのでなく、ジブシート・リーダーの左右位置を変えるか、補助シートを使うなど、 シーティングの位匿を直さねばならない。

㋣   この項では「強烈なブローを喰らった時から」の話ばかりに終始したが、本当は、長時間帆走を志すほどのセーラーならば、 当然、ブローを喰らう1時間も前から、強風作戦は始まっているに違いない。
すなわち---

Ⓐ   気象予測の修業を積んだ人間ならば、前日から強風の襲来は予想できるはずだ。 そして、その日の朝には強風が北西から来るのか? 真北から来るのか? それとも西から来るのか?  大体の予測がつくので、時々はその方向の水平線を見て、「水平線が黒っぽくなる」という兆候に注目するはずだ。 しかも、気象予測の確率が90%を超す人ならば、強風が来るタイミングに、一応の予想もできるはずだ。

Ⓑ   さて、予想よりも少し早く、水平線が黒ずんできたら、その早期到着という現象そのものを、 「風速も、予想以上に大きいはず」と読み取る才覚があろはずで、その瞬間からすぐに荒天準備が始まる。

Ⓒ   もしも避難港への入港が間に合わないなら、強風と戦う覚悟を決め、空腹ならばメシを喰い、小便でも喫煙でも、合戦に備えて済ましておく。 そしていよいよ、逃げ切れないと決まった時に、ジブは降ろしてしまい込む。 (もしも何かの手違いでジブを降ろす的にブローを喰らった時は、その一撃に耐えた直後に、ジブを降ろすのは言うまでもない) その突風が接近して来る速度を目測して、風速を推定する。(寒冷前線系統の突風ならば、進行速度と風速はイコールなのだ)

乗り組みの全員にライフ・ジャケット着用を命令する。(それは絶対強制の命令である)推定風速に従ってメインセールをリーフする。 その頃には、口の中がカラカラに乾くから水筒の水を回し飲みする。突風の初期は、風力の割に波は少なく、視界はまだ広いはずだから、 その時期が終わらないうちに、その強風を利用して、避難港ヘー気に駆け込むのは言うまでもない。 ……もしも、その時期にモタモタして時間を浪費すると、視界は急激に狭まり、波浪は1分ごと、1秒ごとに高くなって、どう頑張っても逃げられない状況になるのだ。



 以上のような、「チンしない帆走法」は、長時間帆走に必要なだけでなく、以後のディンギー・クルージングのためには、決定的な武器となる。また将来、本格的な外洋ヨットで、大シケの洋上で戦う時にも、ノックダウンされない帆走法の基本として役立つのである。
 それでもなお、レース熱心な人ならば、「そんなに落ち着いて、フル・ハイクせずに乗っていたら、レースに勝つことなど望めない」と思うに違いない。ところが前号(1月)の記事の後部に書いたように、この長時間帆走をマスターした時期ならぱ、その帆走センスの威力で、フル・ハイクなどしなくても、ベテランと同等以上のスピードで走れるのだ。だから、その目標に焦点を合わせて、少なくとも500時間の修業中は、「チンしないこと」一本に態度を決めてもらいたい。 

(次号につづく)

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