海で生き残る条件(6) 1984年3月
横山 晃



  トレーニングの初級・中級・上級  

 海で生き残るトレーニングに初級、中級、上級があるならば、

 初級はシングルハンド・ディンギー
 中級は小型キールボート(バラスト・キールを固定した帆走艇、もしくは最小の外洋ヨット)
 上級は外洋ヨット という3段階が考えられ、前号まではほとんど初級解説に費やした。

 なぜなら、日本のヨット界は少し特殊で、「ディンギーの乗り方に2種類ある中で、シビア・レーシングが本格派、それ以外の帆走は不マジメな遊走派である」などという的外れな偏見が定説になっている。
 それ以外にも、「ディンギーの操船で上達するには、100回も200回もチンを経験せよ」とか、「セーリング・ディンギーは1隻で行動してはイケナイ!!」とか「シングルハンドで帆走するには、キャット・リグに限る」などと、生き残る条件と正反対の条件ばかりよりによって強制するような、邪教の迷信に冒された人々が多い。だから、そのムードの根本を正す ためには、様々な回り道の解説が必要だった。


  外洋ヨットの場合  

 外洋ヨットとディンギーの性格の違いは明確である。 特に復原力性能においては、第1に復原力の絶対量が10~100倍も違う (図1は質的な違いを説明する図なので、絶対量の違いを極端に減らして描かれている)。

 また第2にヒール角の大小でも、右表のように外洋ヨットの方が1.5~2倍もスケールが大きい。 注目すべき点は、復原力が消失した直後の、マイナス方向の部分が、それまでの正立部分に比べて、 1/4以下の面積しかないことで、それは裏返しに安定する可可能性が正立安定に比べて1/4以下でしかないことを意味する。 だから外洋ヨットは、たとえ何かのはずみに裏返しになっても、たいていは次の波が来た時に起き直るのである。 それに比べて、ディンギーは自力では再起できない。

 しかもほとんどのディンギーは、35°~70°のヒ一ル角で、コクビットに海水が流人するので、 たとえ苫労して正立に引き起こしても、排水という難作業がある。
 つまり、外洋ヨットが不沈不転の性格を持っているのに比べて、ディンギーの場合は、チンしたら、 その引き起こしと再帆走には、かなりの時間とスタミナを要するので、シケの海上で引き起こし再帆走を繰り返すのは、 1回ごとに生き残るチャンスから遠くなる(ディンギーの引き起こし再帆走は、レースの劣勢から立ち直るテクニックであって、 シケの海上で生き残る手段として期待してはイケナイ)。

図1


       ヒール角
艇種別
最大復元角 復元力消失角
セーリング・ディンギー 25°~45° (75°~100°)
外洋ヨット 50°~70° 110°~150°


 外洋ヨットは、凌波性の面でもディンギーと大幅に違うのは当然で、外洋で遭遇する巨大な激浪を予想して設計される。だからピッチングやパンチング(波を越えた直後に、フネ全体が空中に乗り出してから、モーンョンを付けて落下し、船底を水面に叩きつける現象)などは極力減らすように設計されたはずだ。
 しかもピッチングやパンチングの減少に成功すれば、それに伴ってスプレーの浴び方も減り、「波浪によるスピード低下」も少なくなるので、操船も乗り心地もソフトになる。なお、その上に、巨大な崩れ波の頂上から波間の水面へ落下する危機があっても、破損しないような頑丈さと身軽さを目標として設計されるのも、外洋ヨットなのだ。
 それに比べてセーリング・ディンギーは、そんな外洋のシビアーな状況を予想するのと違って、常に軽快さに物言わせて、大シケとの遭遇から逃げて逃げて、逃げ切る必要を宿命づけられたフネである。


 だから、外洋ヨットで生き残る条件をディンギーと比べると、正反対に近いほど相違するのは当然である。
 すなわち、

①   推測航法に熟練していること。クロス・ベアリングなどの沿岸航法も必要だし、渡洋クルージングの時には天測も必要である。また電波航法は極めて便利で安直である。けれど、それらのすべては、推測航法の累積結果をチェック修正するために便われるので、航海の実技は推測航法なのだ。
 特にDF、ロランなどを駆使する電波航法は、すべて電子機器を使用し、その機器類は海上では最も故障しやすい。だからその機器に頼り切るのは危険である。また大韓航空機がサハリンのソ連空軍に撃墜された原因と言われている“航法ミス”は、電波機器に頼り切った、初歩的なチェックさえも怠ったためと推定されていて、故障でなくても、道具の安直化が人間を“怠け者”にして、それが最悪の危機を招くのである。

②   視界明瞭な昼間でも、陸岸から1海里以内には立ち入らぬこと。 夜間は、たとえ霧がなくても、陸岸から5海里以上離れて走ること。 まして視界不良とか、低くて平坦で遠浅の海岸(遠州薦のような)では、10海里以上離れること。
 --外洋ヨット遭難の半分以上は、海岸線近くの巻き波や暗礁のために乗員落水・転覆・破損・沈没などの事故を起こし、 人命まで失う実例が示されている。特に大シケの時には、陸に接近するつもりでなくても寄せられる危険があるから、 「陸から離れる」よりも、むしろ「沿岸の危険から脱走する」という激しさで行動する方がよい。また同様に、本船航路から離れることも大切だ。

③   落水防止のハーネスを、クルー全員が着用する。またデッキには前もって、両端を固着したジャック・ステイを張っておき、 ハーネス索のスナップ・シャツクルをステイに掛ける。クルーがデッキ上を移動する時は、ステイに沿ってスナップ・シャックルが滑っていき、 万一に落水した時だけ、ハーネス索が緊張して、クルーの上半身を水面上に支えるよう、 すべての索の長さを設定する。
 それで、高速帆走中に落水した場合でも、顕や脊骨を折るようなトラブルを防げるのである。 女性・老人・年少のクルーがいる場合。彼女や彼らの握力は劣るから、一般クルーよりも早期に、ハーネス使用を強制する命令を、 艇長(または代行者)は強制する義務がある。なぜならば、自動車のライフ・ベルトでも、装備強制の国に比べ、着用強制の国の方が死亡者が1/3に激減するという実績があるのだ。

④   索具、セール、スパー(マスト、ブーム、ガフ、ポールなどの長物類)、そして船体などの故障や破損は自力で修理または応急処置すること。 特に水洩り個所が発生した時は、レース中でも航海中でも、直ちに止水処置を実行すること。
 すなわち、修理や処置を実行する技能と工具と材料を、 日常から準備する義務がある。乗組員の傷病も、同様にすぐ処置すること。

⑤   クルーの勤務割を定め、正しく勤務交替を行なう。ただしクルーとは、ヘルムスマン、セーラー、コックなどの勤務員を指す。 もしも艇長がナピゲーションと総指揮を受け持つ場合は、24時間連続の1人勤務となるのは当然である。
 だから休息時間は2~3時間に切り詰めて、 最も心配の少ないチャンスを狙って休息する以外になく、そのためにシングルハンド航海を前もって経験しておく方がよい。

 以上のように、「ディンギーでの生き残り」よりも社会的で指導者的な対応が必要になる。 といっても、艇長に要求される資質は決して「会社人間的な協調性」が最良なのではなく、むしろ逆向きに、危険予知と的確な対処、 そして卓抜な航海技能の上で、一般クルーよりも桁違いに高レペルな実力と自負心を持ち、有無をいわせずに一般クルーを引っ張って行ける人材が望ましいのである。

 だからオーナーは、上記の資質を自分が獲得し、自ら艇長に就任するのが最良である。
 もしも困難ならば、自分は1歩退がり、上記の資質を充分に持った艇長を、自ら選択し、自ら任命し、しかも、あらゆる事故の全責任をオーナーが負わねばならない。 すなわち、もしも艇長の実力が一般クルーよりも桁違いに高くなかったり、あらゆるトラブルを処置するための装備が適切でなかったり、クルーに号令するタイミングが適切でなかったり、 などで発生するトラブルの責任の一切は、艇長に負わせるのでなくて、オーナーが負わねばならない。以上のようなモラルは日本独得の「ナアナア主義」とは逆向きだが、 これは先進諸外国の鉄則であって、日本だけが例外であることは、もう許されなくなりつつある。

 以上のように、外洋ヨットのオーナーと艇長に課せられた安全管理能力の高レベルは、並みの方法では獲得できない。
 ここでも、その「狭き門」を突破する唯一の方法は、やはり前号までに解説した「ディンギーの長時間帆走」というトレーニング1000時間をマスターするのが最良なのだ。
 そうすれば、以下に述べる⑥~⑨の条件は、前もって満たされるに違いない。

⑥   気象の変化を、自分の手の平を見るように、的確に予測できること。

⑦   出港の時刻、入港の可否、を的確に選択できること。

⑧   クルーの人数と練度を適切に選ぶ能力を持ち、正確に採用と解雇を行ない、正しい規律で指揮統率できること。

⑨   タフで有能なフネを正しく選択できること。



  外洋ヨットの選択  

 その復原性と凌波性の良さは「タテマエ」であるが、市販艇の現実は必ずしも満足できない。
 その上、「シングルハンド向き」とか「熟年向き」、「家族向き」などのキャッチ・フレーズが単なる御題目だけで実質を持たない例も多い。
 だからユーザーはもっと勉強して、「本当に良いフネ」を選び出す眼識に挑戦する必要がある。

Ⓐ   シングルハンドで扱いやすいか否か、第1条件は総重量である。空荷重量で目安を示すと、
2000kg以下ならば、70代の老人でも初心者の女性でもたいていは扱える。ということは、青年や壮年ならばディンギーと同様に気楽に扱えるフネだ。3000kg以下ならば、50代でも60代でも一般女性でも、少しのトレーニングでシングルハンド操船できる。

 ということは「それ等の1.5倍とか2倍でも、スタミナ豊富でよく鍛えられた青年や壮年ならば、シングルハンドで扱える可能性がある」という意味なのだ。
 また積載重量は空荷重量の30%以下に留めたいし、少なければ少ないほど、フネ全体が扱いやすくなる。それはサイクリング・ツアーに似ている。

Ⓑ   シングルハンドの第2条件は、ティラーから手を離しても10分間以上直進する保針性である。
 マーケットにはウインドベーンとか、オート・ステアラーとか、便利な道具が色々あって、「これさえあれば」とセールスマンは説得するのだが、ウインドベーンは破損しやすく、オート・ステアラーは電源消費が激しく、長期的にはつき合い難い。だから、半日や数日用するのはよいのだが、それでもなお、それが使えなくなったときに、やはり保針性のよさに感謝するはずだ。


Ⓒ   外洋ヨットの平面形には楕円形と菱形の2種類があって、その中間の形もある。
 楕円形はクルーザ一に多く、菱形はレーサーに多くて、10年ほど前に菱形全盛の時代があって、「この形のフネでないとレースに勝てない」といわれていた。 けれど今日では、極端な菱形よりも楕円に近づいた方が評判がよく、そのタイプのフネがかえって第1級になってきた。 ナゼなら、菱形の極端なフネは転覆しやすく裏返しに安定する傾向もあるのだが、楕円のフネは転覆し難い。 だから、スピード維持が他の手段で可能ならば、楕円形の方がシピアな状況で頑張りが利くためである。

Ⓓ   外洋ヨットの中にもセンターボード艇がある。といっても明確な2種類があって、20年ほど前までのそれは、センターボード以外の外部に固定されたバラストの重量が充分にあり、例えばバミューダレースに3連勝した〈フィニスチア〉の例でも明白なとおり、非常にタフで性能もよく、しかも浅吃水だった。
 だが最近のそれは、レーティング対策のために、極端に復原力性能を悪くした設計が多いので、転覆しやすくて、裏返しから起き直れない艇も多い。だから生き残る条件には逆向きなのだ。

Ⓔ   水線長が長いこと。それはレーティングを高めるので、レース・マニアには嫌われる。 けれど、レーティングがいくら高くても、そのレッテルを上回るスピードがあるならば、一向に揖にならないだけでなく、 長い方がピッチングが少なく、スプレーも造波も少なくて、乗り心地も操船も楽なのだ。だから一般ヨットマンには歓迎されて当然なのだ。

 それ以外にも、寿命の長いプネ。何年経っても「流行遅れ」にならない船。冬暖かくて夏は涼しいフネ。美しい工芸品のフネ。などなど、流行型以外に、沢山の選択ポイントがあるのだ。

(次号につづく)

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