海で生き残る条件(4) 1984/1
横山 晃



  トレーニング入門の決断  

 「陸上を足で歩く」という初歩的な行動でさえ、それを3時間以上も続けた経験者は、現代の日本人の中では50%以下しかいないかも知れない。
 まして、「シングルハンドの帆走という特殊なスポーツ」を、6時間も連続でやれるか否かを決断し難しいのは無理もあるまい。

 もしも、それが心配なら今度の日曜日に、「3時間以上歩き続ける」というスポーツに挑んでみるとよい。 それを難なく消化できれば、「海上の長時間帆走にトライする資格は充分」という証明になる。 それだけでなく、あなたの今後の人生に、「陸上でも生き残る自信」の第1歩が確立するのである。 だから、もしも若さと体力に溢れた人ならば、3時間といわずに、6時間でも9時間でも、最大限のスタミナと根気に挑戦してみれば、これからの人生に貴重な自信となる。
 その挑戦の手応えが、あなたが海上トレーニングに踏み切るという、決断の鍵になるに違いない。


  トレーニング開始  

 長時間帆走の実技トレーニングを始めるために、フネの準備が無い人は前号(12月)のこの項を、また、トレーニングの狙いと効果を知りたい人は前前号(11月)の記事を一読されたい。
①   トレーニングのテーマは第1回から「6~12時間連続の長時間帆走を、シングルハンドでやる」というものである。
②   12時間コースの場合でも、へ向かって一直線に6時間走り、Uターンして6時間戻る、という単純なことは、この500時間の初段階ではやってはイケナイ。
③   関東なら「江の島と城ケ島を結んだ線の東側、とか、「城ケ島と洲の崎を結んだ線の北側」とか、関西なら「瀬戸内海に限定」など、とにかく、「1時間以内に何処かの港へ逃げ込める海域」の中だけで、6~12時間連続の自由な帆走をする。
④   その限定海域で練習する期間は、少なくとも500時間(なるべく1000時間)、しかも、「3ヶ月で500時間」などの短期間ではなくて、オール・シーズンを網羅する 1~2年間を予定すべきである。
 だから、もしも6ヶ月で800時間を消化した人ならば、次の6ヶ月は超スロー・ペースで、噛み締めるようなトレーニングに緩和する。 また、もしも1.5年間連続しても、まだ300時間しか消化してない人は、残り6ヶ月はペースを上げて、200時間以上を頑張ってほしい。
⑤   「舗装された道路が、2時間後に砂漠や岩山になる」という大異変は、陸上では三宅島の阿古地区ででも無い限りは、何万年に1回も無いと思う。 ところが海上では、ヨットやボードで帆走する人が群がる海の銀座でも、「2時間後に狂乱怒濤の修羅場に急変する」という大異変が、毎年のようにある
 ……日本沿岸は世界第1級の危険海域なのだから……。
 ②に示した限定海域でも、決して安全海域ではなくて、「心がけが良ければ、死なずに帰ることが不可能でない海域」と思ってほしい。 なぜならば、⑥⑦の対策があるから………。
⑥   気象予測トレーニングが早急に必要なので、休日以外の余暇時間まで気象研究にノメリ込む方がよい。 その第一次目標は「1~2時間の間の気象予測の確率を99%に高めること」とする。 その適中率テストは、「天気、風向、風力、波浪」という全項目を具体的に予想して、1時間後に1つでも外れたら-1とし、長時間帆走8時間の累計が-2なら評価は-2/3、それを100時間累計して一20/100ならば、適中率80%とする。 海上を命賭けで帆走するのだから、気象庁の予報でも漁師の助言でも、ポータブル・ラジオでも、利用できることは何でも利用するのは言うまでもない。 その結果を乗艇ごとの航海日誌に記録していくと、100時間前よりも向上したのを自覚できるし、自分の予測能力が正確に示されるので、無茶な突進などできなくなる。
⑦   けれど突風が来るのを1時間前に予知して、首尾よく避難港に到着しても、入口を捜してウロウロしたり、入口直前で暗礁や大謀網に引っかかって、トラブっていたら、追撃してくる突風の修羅場に巻き込まれる……古今東西の遭難例を見ると、避難港の入口周辺で討ち死にした実例が、沖の遭難に匹敵するほど多いのだ……。
 その港口遭難を防ぐためには、避難港の実物を、海の方向から見ておくこと。 実際に出入りして見ること。 風向、波浪、潮位などが違う時に、また見ること。 などの調査を、行動海域の全域にわたってシラミ潰しにやるのを、この1~2年の航海テーマにすればよい。
⑧   この避難港調査は、出入口や暗礁の調査だけでなくて、周辺の潮流や海流の方向や流速を見ておくことも、激浪中や闇夜に入港するために大切だし、広域の流速分布傾向を知るためにも、貴重な手掛かりになる。
 だから毎回の航海には、満潮・干潮の時刻、それぞれの潮位(水面の高さ)、上げ潮・引き潮の最強時刻、転流時刻などのデータを、その日の航海日誌の冒頭に記入して携行する力がよい。
 そうすれば、「データから推定した潮流方向と違う」とか「推定どおり」とか、「予測より流れが速い」とか「弱い」とか、色々気づくことが多く、それ等を総合して、流れが岸に寄りたがる場所とか、海底へ潜りたがる場所とか、色々な発見がある。
⑨   湾口や流峡など、流れの複雑な場所の面白さが、段々に判ってくるのは、長時問帆走のメリットである。 水面の色と艶は、風力と吹き降ろしの有無で変化する。 それ以外には、「潮流の速度と方向」、「潮の湧き上げ」、「潮と風の逆行」、「魚の群」、「流れと流れのすれ違い」などと、極めて多彩な原因で変化するので、眼が醒めるほど面白い。
⑩   時には、潮流や海流が、海底と水面と別々に流れている場合もあって、その両者が干渉し合う場面に遭遇したりすると、海底の起伏まで調べたくなってくる。 それには漁師さんの世界に「山を立てる」というメソッドがあって、陸に沿って海上を移動しながら陸上の山と谷を見ていると、山筋と谷筋が見えてくる、それを手前の海底に延長すれば、海底の山と谷が想像できる……というものである。
 すると、底流(そこながれ)が海面に出てくる場所を、海図上にマークできるし、潮が上げ始めたり引き始めたりする転流のプロセスも、壮大なドラマの脚本のように、すれ違ったり衝突したり、ロール状に反転したり、極めて立体的で大がかりで、そのロマンチックな展開の全容を解読するのは、この上なく面白いはずだ。


  気象とのつきあい  

 上記⑥に指摘した、「確率99%の気象予測」を実現するためには、文献調査や教科書暗記のような座学ではダメ。 気圧計、温度計、湿度計、ファクシミリなどという設備主義、器具主義の科学志向もダメ。  唯一の方法は、長時間連続で大空の全貌を見渡せる場所にいて、気象と同居し同棲して、ペット動物の習性を呑み込むのと同様に、気象の習性と個性を呑み込んで行く方法で、それ以外の名案は皆無といってよい。

 だから流れる雲から眼を離さず、雲と共にフワフワと漂うような経験を、何日も何日も積み重ねるうちに、段々に気象がわかってくる。
 ……例えば……
㋑   朝凪・夕凪という言葉を国語や小説で知っていても、海軟風とか陸軟風とかの言葉を地球物理学や気象学で識っていても、大概の人は実感に乏しく、その実物が眼前にある時でも、「コレダ!!」と言い切れない人さえいるのだ。

 だから「次にどうなる?」と質問されても答えられない人が多いのだ。 ところが、長時間帆走という舞台で、早朝から気象と共に呼吸してきた人ならば、早朝の陸軟風、午前の朝凪、昼前から海軟風、という変化などは、自分の体調と同様に承知しているので、「今日の海軟風は」とか、「先週までの朝凪は」などと、生々しい具体性で話せるのだ。
㋺   日曜ごとの風のドラマには、「先週と同じ」というようなパターンはほとんど無くて、こんなのもある、今度はまた違うなどと、次々に新作のドラマを見せてくれる。 しかも「9月上旬から北風の第1号が始なった」とか、「正月になったら、急に南風がアイサツに来た」とか、季節変化や面白さも出てくる。
㋩   そのうちに、山の背後や水平線から、次々に出てくる雲の全貌を、「表れる前から予想したい」という欲望を感じる時もある。
 その時には、大気図を自分で書く練習を始めると良い。 それには、その実技参考書と白地図を購入し、ポータブル・ラジオと共に携行し、自宅でも海辺でも路傍でも、その放送時刻には、その場で天気図を作成する。 しかも略号は下の図のように、雨記号はタテ線3本に省略、風力標示の枚数を半減、気圧は下2桁だけ書く。などの便法で、筆記スピードを倍増するのがコツである。
 また練習手順は、最初の1~2ラウンドは、「石垣島では………南大東島で……」というアナウンスの中で、地名を言い終らないうちに、白地図の上のその場所へ鉛筆を定める練習をする。 それができたら、風向だけ、これも言い終らないうちに風向の線を書く練習。 それもできたら風力も記入……という具合に、1項目ずつ確実に追加していけば、10~30回の練習で、全項目の速記が可能になる。 あとは実技参考書に書かれたとおりに、等圧線と前線を書き込めばよい。

㋥   最も大切なことは、天気図の上で温暖前線や寒冷前線が近づいてきたら、その実物を肉眼で見ることである。 と言っても、上空に線が見えるのではなくて、雲が見えるのである。 寒冷前線ならば乱積雲(入道雲)が見えはじめ、それが前線上に長々と雲堤(堤防のように連続した雲)となって押し寄せてくるのが見える。 また温暖前線の特色は、前線が到着する2~3日も前から、絹雲(巻雲)……層雲……乱層雲(雨雲)というシリーズの大軍が、次から次へと押し寄せてくるドラマが見られる。 だから、その前線雲のパノラマは、帆走の時だけでなく、日常のウィークデイでも、暇あるごとに見ておく方がよい。
 その実物認識は、紙上の天気図を見ることよりもはるかに重要で、その「見覚え」さえ身につければ、予備知識なしに空を見た時でも、一瞬のうちに気象が上り坂なのか下り坂なのかを判読できるようになる。
㋭   気象庁の予報が外れ、素人の目には真赤なウソに見えたり、不見識なデタラメに見えたりするものが、その実態は時間のズレだったり微妙な場所のズレだったり、という単純な食い違いに気づくようになる。 だから、気象と同居している我々ならば、刻々に空の実態を見守りながら、「気象庁の予測とはタイミングが違ってきた」とか、「場所のズレが始まった」なども読めるから、「素人が見ると20%外れる予報でも、我々が扱えば1%の誤差で判読できる」ということなのである。
㋬   各地で、地元の漁師さんや釣師のベテランとつきあうと、観天望気のヒントに遭遇することが多い。
例えば、
 「夕焼けは晴れ、朝焼けはシケ」、「巻雲(絹雲)が北東から来れば晴れ、南方からまわれば雨」、「平行線の巻雲は雨」、「こまかい巻積雲(ウロコ雲)は3日以内に雨」、「日がさ、月がさは2日以内に雨」、「関東では富士山が明確に見えると烈風」、「メシ粒が茶碗につけば晴れ、キレイに取れれば雨」、「雨蛙が啼くと雨」、「魚が高く躍ると雨」、「池の魚が水面で呼吸すると雨」、「夕立3日(夏の夕立は3日続く)」、「東方の雷と、浜の松風は音ばかり(雨は降らない)」、「西風は晴れ、東風は雨」、「遠寺の鐘の音が聞こえると雨」

 などなど沢山あるのだが、それぞれの地方にローカルな気象パターンがあるので、これらの格言の中でも、良く当る格言と当らない格言が地域ごとに違ってくる。 また上記の、「富士山が見えると……」の格言は、地方ごとに別な山になる。

 だから、機会あるごとに、「そのローカルに合うか否か?」を試しておくとよい。
例えば、この観天望気は、ポータブル・ラジオも白地図も不要という″無手勝流″だから、身につけておけば、ポータブル・ラジオが故障した時などに威力を発揮する。 ……ともあれ、天気図の方法でも観天望気でも、気象と同居して長時間を過ごす我々ならば、机上の知識人に比べて、10倍も20倍も正確な予測が可能なのである。
㋣   気象が手の平を見るように読めるのは、海上生活に年季が入った結果なので、奇妙なことに、風見など無くても、風向を正確に読めるようになる。 それは首筋がセンサーの役割をするのだから、フード帽よりもサウウヱスター(全周のヒサシが下がったレイン・ハット)を好むようになる。
 また、コクピットの床に寝るときは、腕1本でも素肌の足1本でも、コーミングの上に出しておけば、睡眠中でも風向風力を感知するのに役立つ。

 また、さらに達人になると、キーャビン内のバースに寝ていても、突風の直前など異変の前には、何かの殺気を感じて起き出てくる。
 それは、たぶん、「古い家や蔵が火災に遭う前日に、沢山のネズミや蛇が、大挙して避難した」という伝説を各地で聞くのと共通の」何か超能力のような「虫の知らせ」が存在するのかも知れない。
㋠   トンビや鷹が、羽ばたき1つせずに滑空を続けるのは、たぶん、その賢い鳥には、上昇気流の存在を感知するような、超能カセンサーがあるに違いない。 だが、トンビも生き物、我々も生き物なのだから、我々でも風の中で長時間を過ごすうちに、超能力センサーの機能を呼び戻すことができる。

 事実私が長時間帆走の全コース(約1000時間)をマスターしたのは1937年頃だったが、人にすすめられて、突然、全日本のヨットレース(当時は神宮競技といって、今日の国体の前身だった競技会)に出場してみると、スタートはまったく経験が無くてモタモタと最後尾からスタートしたのだが、居並ぶ他艇が次から次へと後方へ消えて、前方にいる艇は唯1隻となったときに、まったくコースの回り順を知らずにスタートしたことに気づいた。 ところがその先頭艇も、自信あり気な1隻が後方にピタリとついていることに気を良くして、間違ったコースを走って行った。 それで優勝は逃がしたが、他艇のレベルの低さにあきれて、レースに興味を無くすうちに戦争時代となった。


 次号には、「チンしないテクニック」とか、そのためのフネの整備とか、トレーニング・テーマの本論に入る。

(次号につづく)

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